川原正孝(ふくや)のプロフィールや大学は不良学生と銀行マン!

カンブリア宮殿に博多名物を生んだ「ふくや」の川原正孝氏登場

 

福岡・博多と言えば…モツ鍋、水炊き、とんこつラーメンなど、よだれが出てくるものが沢山ありますが。

 

グルメな人達をうならせる国内屈指の食の街、博多で地元・博多っ子がこだわる食材の一つが「博多名物・明太子」だ。

福岡県内だけで150以上のメーカーが、味を競い合っている。

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「明太子」の激戦区で売り上げNo.1に君臨するのが、地元客からの絶大な信頼を得ている「ふくや」

 

そんな川原正孝氏のプロフィールや出身大学。不良学生のエピソードなど調べて見ました。

 

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画像:http://qbiz.jp/article/82132/1/

川原正孝 (かわはら まさたか)氏プロフィール

ふくや 社長

生年月日:昭和25年生まれ

学歴:福岡高校

昭和44年 甲南大学(兵庫県神戸市)

職歴:昭和48年、福岡相互銀行(現西日本シティ銀行)入行  営業部

昭和54年、(株)ふくや入社

昭和61年4月、常務取締役就任

平成6年 4月、代表取締役副社長に就任

平成9年1月、代表取締役社長に就任

 

毎年、博多祇園山笠に参加するほどの山笠好き。
地元を大切にすることをモットーに、
常に美味しい明太子づくりを追い求めている

 

「ふくや」は、10年近くに及ぶ試行錯誤の末、現在の明太子を生み出したパイオニア企業です。

 

しかし、その作り方を地元のライバルメーカーに無償で教えることで「明太子」を博多名物に育てあげた企業でもあるのです。

 

自らの利益だけを追求せず、地域と共に生きる道を選んだ「ふくや」の知られざる感動経営術。

 

川原正孝氏のエピソード

昭和44年に甲南大学へ入学した川原氏は、高校時代から続けていた空手に没頭。

授業は全く出ず、空手に明け暮れていた。

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川原氏は丸刈り頭にサングラスという、コワモテのお兄さん。

 

大企業のサラリーマンなんて興味なし、荒くれ男の職場がは合っていいる事で

アルバイト先の運輸会社で、そのまま働こうと思っていたそうです。

 

大阪の港湾で荷物を上げ下げする仕事、空手部の先輩がいる会社でもあり、本当に好きな職場だった。

 

大学卒業後は博多に帰ってくると思っていた川原氏の母は、慌てて兄の健氏に相談した。

 

兄の健氏が福岡相互銀行(現、福岡シティ銀行)に勤めていた関係で、すぐに銀行の面接を受けさせられた。

 

川原氏は丸刈り頭にサングラスという、ヤクザそのものの姿で福岡相互銀行の面接・試験を受けた。

 

今では即不合格でしょう、お兄さんが慶応大学卒の秀才で銀行も「あの健の弟ならいいだろう」ということで採用したらしい。

 

入社88人中、成績は最下位で英語は白紙、他の試験もガタガタでも内定?

福岡相互銀行(現、福岡シティ銀行)の活躍

「兄のコネと試験も最下位入社という後ろめたさがあった。だから、絶対に同期には負けられないと、強く意識はしていました」。

 

1日に50~100件とあまりに多くのお客さんをハイペースで廻る。

朝6時からはお年寄りのゲートボール集会にも参加して、年金預金をごっそり獲得するなどの奇行で毎月月末3日前にはノルマを達成。

 

同業他社である西日本銀行や福岡銀行の従業員出口を張り込み、競合営業マンの後を着けて、行く先々の顧客をデータべース化。

 

後日、その潜在顧客を片っ端から訪問し、ライバルから根こそぎ奪い取った。

川原氏は会社規定の日誌とは別に、独自の訪問日誌を前日1時間かけて作成。

 

例えば団地1000件を1日あたり50~100件に分け、
1件ずつ何をお願いするか、営業するかを決めていた。

 

この型破り営業で、新規契約高では常に社内NO1クラスの実績。

 

「川原日誌」は全店の営業モデルツールとしても使われ、入社6年目には昭和48年入社同期トップで支店長代理に。

 

29歳の時にはエリートコースの労働組合中央執行委員長にも選ばれた。

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http://www.fukuya.com/

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