「おんな城主直虎」の名前の由来はと生涯まとめ!

NHKの2017年大河ドラマに井伊直虎(いい・なおとら)役で柴咲コウさんさんが決定しました。

井伊直虎(いい・なおとら)を大河ドラマが始める前にどんな人か気になります。

 

そこで井伊直虎(いい・なおとら)とは、どんな人物
だったか調べて見ました。

 

井伊直虎(いい・なおとら)は幕末の大老・井伊直弼の先祖にして、
徳川家康の重臣・井伊直政の養母です。

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井伊直政はと言うと徳川家康に仕えた家臣で、特に優秀な4人とされる徳川四天王のうちの1人です。

この直政の養母にあたるのが井伊直虎ですが、女性なのでなんで男の名前になったのか?

 

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画像:http://www.kouzanbou.sakura.ne.jp/jirouhousisama.h…

井伊直虎(いい・なおとら)プロフィール

井伊家は今から1000年前より、遠江国井伊谷(現在の浜松市の一部)の領主

井伊直虎が生きた時代は戦国時代末期です。

 

遠江国井伊谷家は勢力を強めていた駿河の今川義元に従属していましたが。

立地的に他国からの「お誘い」が多く、いつ裏切るか分からない井伊家は

今川義元に常に警戒されていたのです。

 

そんなおり祖父にあたる21代宗主の直宗が、今川義元の命で出陣した戦で討死。

さらに曾祖父にあたる20代宗主の直平は、この死に危機感を抱く。

 

井伊直平にとっての孫にあたる22代・井伊直盛には、後継ぎとなる男子がおらず、

子は娘の(おとわ)後の直虎ひとりだったのです。

 

井伊直虎は1530年代に遠江国(現在の静岡県)に生まれたと言われています。

生まれた年は正確には分かっていないし、名前も
おとわ「女」としか分って無いそうです。

 

戦国時代なので跡継ぎの男子は喜ばれたが、女性は
喜ばれなかったのです。

 

井伊直虎と亀之丞との別れとそして出家は?

 

父の井伊直盛はいとこの亀之丞(のちの井伊直親)をこの一人娘の許嫁(結婚の約束をした相手)とし、
井伊家の跡継ぎとするつもりでした。

 

しかし1544年(天文13)、亀之丞の父・井伊直満とその弟の直義が、

井伊家を支配していた今川氏に謀反の疑いをかけられて殺害され、

 

わずか9歳の亀之丞も命を狙われることになり
身を隠すため信州(現在の長野県)へ行たのです。

 

結婚の約束をした相手から引き離された「おとわ」直虎は出家
しました。

 

井伊家の菩提寺である龍潭寺の南渓和尚から
「次郎法師」

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の名を与えられました。

 

髪を切り落とし僧侶や尼となり、仏道の修業を行う
「次郎法師」だったが、

 

1555年(弘治元)に、亀之丞が11年ぶりに井伊谷へ帰ってきました。

哀れなのは出家していた次郎法師は結婚することができません。

 

亀之丞は次郎法師の父・直盛の養子となって「直親」と名乗り、井伊家家臣・奥山朝利の娘と結婚する。

その後、待望の男児「虎松」(後の井伊直政)が誕生しました。

 

1560年(永禄3)今川義元に従って直盛が、桶狭間の戦いで戦死してしまう。

また2年後の1562年(永禄5)には、井伊家当主を継いでいた直親が、今川から

「徳川家康に味方をしている」と疑われて殺害されます。

 

さらに曾祖父直平や、多くの家臣たちが相次ぎ戦死。

こうして井伊家を継ぐ男子は、わずか4歳の幼い虎松ただ一人となってしまいました。

 

女城主「井伊直虎」の誕生

1565年(永禄8)、次郎法師は、幼い虎松、そして井伊家を守るため、南渓和尚と相談し

おとわを無くし「直虎」と名乗り、井伊谷城の城主となる決心を固めたのです。

 

こうして“女城主”となった直虎ですが、今川氏真が井伊谷周辺に「徳政令」を出したのです。

※徳政令とは

民衆を救うため、大名などが寺社や商人へ借金の帳消しを求めること。

このときの徳政令は、領内を混乱させることで井伊家の力を弱めることが目的であったといわれている。

これを受け入れてしまったら、井伊家の家臣や領内の経済は混乱してしまいます。

井伊領を守るため、この徳政令を2年間引き延ばすことを決断しますが、今川の圧力に対抗しきれず、
2年後、遂に徳政令が発布され。

 

直虎は城主の座から追われたのです、それにより
家族はバラバラになりますが、

 

虎松の母は頭陀寺村(現・南区頭陀寺町)付近に拠点を持つ松下一族の松下清景と再婚しのちに、

虎松を母の再婚先である松下一族のもとへ養子に入れ、そして松下氏の力を借りて、

 

浜松城にいた家康の元へ家康は、15歳の虎松を小姓として迎え入れ、万千代という名を与えられ、
井伊谷に領地を持つことを許しました。

 

それにより直虎は、井伊の家名を再興させることができたのです。

家康の家来として、また井伊家を再興するために活躍する万千代を見守りながら、

1582年(天正10)8月26日、その生涯を閉じ40数年の生涯だったといわれています。

関連サイト

おんな城主直虎の許嫁である亀之丞の正妻しの!

おんな城主直虎の許嫁である亀之丞(後の井伊直親)の生涯

井伊直虎の父の井伊直盛と母の千賀の生涯!

 

 

 

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