井伊直虎は男だった?京都の美術館で新史料で男はだれなの?

NHK大河ドラマの主人公にも決まっている戦国時代の遠江(とおとうみ、
静岡県西部)井伊谷(いいのや)城主、井伊直虎(なおとら)。

 

井伊家の史料を収集する井伊美術館(京都市東山区)が「直虎」を
名乗ったのは女性ではなく、

 

いとこにあたる別の男性だった可能性を示す史料が新たに
確認されたと発表しました。

 

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ここにきて発表の間の悪さ、なんか始まる前に
盛り下がったかんがあります。

 

歴史的にも直虎は、井伊谷城主、
井伊直盛(なおもり)の娘の次郎法師)が名乗って家督を継ぎ、

 

後に徳川家の重臣となる井伊直政の
養母となったとされてきた。

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発見された史料

「守安公書記(もりやすこうしょき)」(全12冊)には、

今川氏真(うじざね、義元の子)の配下にあった
井伊家について記されており、
井伊谷の領地が直盛の義理の

兄弟・新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の甥(おい)にあたる

井伊次郎に与えられたとの記述があった。

しかし井伊次郎の資料がありません
井伊直虎(なおとら)が出家したときの名が
(次郎法師)なので似たような名前?

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なぞのようですが?
兄弟・新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の資料はありました。

新野左馬助親矩とは

(生年不詳~1564年)は今川氏の一族であり、
新野舟ヶ谷城の城主で新野村三千石を治めていました。

 

井伊直虎の母親(祐椿尼)の兄にあたり、
徳川方へ寝返った嫌疑により今川氏真に討たれた

 

井伊直親の一子、後の徳川四天王の一人となる
幼少の井伊直政を養育し、
井伊家の恩人として知られています。

 

永禄7年(1564年)、今川氏に謀叛を起こした
飯尾連龍の引馬城を攻め、天間橋(安間橋)付近で
討ち死にしました。

 

新野左馬助公の史跡

左馬武神社は、新野地区の小山にひっそりとたたずむ小社。地元住民から

「情けの武将」として慕われる新野左馬助公を祀っています。

 

「新野左馬助公顕彰会」により大切に管理され、
毎年4月に手もみの新茶が献上されています。

「左馬武神社と五輪塔」(PDF:229KB)

 

左馬武神社

TEL:0537-86-7517

住所:静岡県御前崎市新野字上組

 

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