井伊直虎と織田信長の関係とは?戦国時代を生きた人物!

井伊直虎と織田信長の関係はあったの?

「桶狭間の戦い」

聞いたことある、分ってるよ

学校の日本史でならいました有名な戦いの一つで
桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、

永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国桶狭間で行われた合戦です、

 

 

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画像:http://www.flickr.com/photos/m-louis/33384946/

尾張に侵攻した駿河の戦国大名である今川義元・
今川氏真親子2万5千といわれる大軍を率いて尾張へ、

しかし織田信長が雨に紛れて奇襲し、破った戦いです。

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この今川義元の家臣の一人に、井伊直盛のちに「おんな城主」となる

井伊直虎の父親です。

 

織田信長によって一度は存亡の危機に陥れられた
井伊家でしたがに大きな転機が訪れるのです。

 

それは1582年に天正10年「本能寺の変」が起こり、

織田信長は家臣の明智光秀によって殺されます。

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「おんな城主」となる井伊直虎の父も戦死し
男子がいなかったので、

いとこにあたる井伊直親が家督を継ぐことになります。

 

しかしこの直親も、今川義元の子である氏真から
謀反の疑いで殺され、直盛の娘が直虎と名乗って
城主となる。

 

井伊直虎は直親の遺児を引き取って育てることに
その後徳川四天王の一人である井伊直政で養母が
井伊直虎なのです。

 

井伊家に訪れた大きな転機は織田信長によって一度は存亡の危機に陥れられたが、

1582年、天正10年に「本能寺の変」が起こり、
織田信長は家臣の明智光秀によって殺されます。

 

徳川家康は、同盟関係にあった信長に会いに、
京へ向かう途中にこの知らせを聞き、

 

急きょ三河へ戻ろうとして、明智軍に見つからぬ
ように、山の多い伊賀国を横断するという大胆な
策に出ます。

 

有名な逸話である「伊賀越」です。

 

井伊直政は家康の側を片時も離れず、家康を守り
三河まで帰り着きます。

 

織田信長こそ井伊家断絶の危機を作り出し、
井伊直虎がおんな城主となるきっかけを作った。

 

織田信長と井伊直虎が直接会ったかは、情報はありませんでした。

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