島田洋七のがばい妻は再婚で名前は?現在はどうしてる?

島田 洋七(しまだ ようしち)さん、漫才コンビB&Bのひとりで
「もみじまんじゅう」で
広島県には貢献したとおもいます。

 

19980年代、漫才ブームのパイオニアとなり、
自宅のダンボールの中に札束が、

 

月収1億円の時代でしたから、本人にもいくら
あるか分からない状態だったとか。

 

羨ましいですがそんな大金をダンボールに
入れて家に置く怖くてねられません。

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人生で嫁さんとと会ったことが一番嬉しい!

素晴らしいですね、ここまで嫁さんを思う気持ち
皆さんはどうですか?

 

きみまろ風

あれから40年プロポーズ あの日に戻って
断りたい!

皆さんはどうか?

 

画像:http://www.cinematoday.jp/page/N0017372

島田 洋七(しまだ ようしち)さんプロフィール

本名:徳永 昭広(とくなが あきひろ)

生年月日:1950年2月10日(67歳)

出身地:広島市白島九軒町

身長:164cm

出身校:広島工業大学土木工学科(中退)

師匠:島田洋之介・今喜多代

コンビ名:B&B(相方 島田洋八)

所属:島田オフィス、オスカープロモーション

経歴

出身は広島市だが洋七が2歳の時被爆で父親が
亡くなり、

家族は母・兄・洋七の3人となり、

小学校1年生の時に佐賀の祖母に預けられ、
中学を卒業するまでの8年間すごす。

 

この体験が『佐賀のがばいばあちゃん』として
後に出版されベストセラーとなり、
映画化・ドラマ化されましたね。

 

佐賀市立赤松小学校、佐賀市立城南中学校卒業後
に広陵高校に野球推薦で入学する。

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練習中に打球が左腕を直撃して肘を痛め、野球をあきらめ二年のとき退部した。

大学は広島工業大学土木工学科 中退します。

 

大学中退後は八百屋で1年半住み込みで働くが
その後うめだ花月の進行係りとして就職。

 

当初仁鶴に弟子入りを志願したが言葉の訛りを
理由に断られ、次に美人の今喜多代、優しそうな島田洋之介に惚れ弟子入りを願う。

 

しかし同様の理由で弟子入り志願者が多く、毎日師匠の元に通い、1ヶ月と4日目の1971年5月に弟子入りを許された。

弟子入り直後には兄弟子の島田一の介とコンビを組んだ事もあったが、互いに訛りが強く程なく解散したという。

弟子入りしてから一年二ヶ月後の1972年、桂三枝の紹介で、現在放送作家として活動している
団順一(萩原芳樹)と初代B&Bを結成、島田洋一名で漫才師としてデビューした。

島田洋七のがばい妻は再婚で名前は?

島田洋七は離婚をしております、最初の嫁さんは
1969年の19歳の時デパート勤務の女性
知り合いになり、

 

20歳の時駆け落ちして歌手を目指し東京へ、
しかし貯金も底を突き大阪にもどるも、

 

質素な生活が続き歌手をあきらめ漫才師の
道にはいったが生活は厳しくアルバイトで

生計を立てていたが離婚する。

 

その後再婚し名前は「徳永 律子」さん

(画像はこちら)

年齢は15歳年下です、現在は佐賀で家庭菜園

などしながら過ごしている。

 

しかしお子さんの情報がありませんので
不明です。

 

佐賀県の自宅は

佐賀県佐賀市東与賀町

 

現在の年収は「がばいばあちゃん」関連の
講演料やたまのタレント活動で収入だそうです。

 

最後に

吉本興業からはなれたことで干されたのは
事実ですから、しかし人気はいつまでも
続くとは限らないです。

一発屋で消えていった芸人さんはたくさん
おります。

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