濱口道雄 (ヤマサ醤油)会長の経歴や大学は?ヒゲタ醤油は?

濱口道雄 (はまぐち みちお)会長は濱口家
12代目当主である。

 

歴史は創業は1645年(正保2年)の歴史が
あり372年の老舗である。

 

ヤマサ醤油は2017年3月に34年ぶりに
社長が濱口道雄氏から石橋直幸氏に変わった。

 

多くのの飲食店で使用され、料理人からの絶大な信頼を
勝ち取ってきたヤマサ醤油だ。

 

日本は人口が減少し、新しい時代に入って醤油の消費量が右肩下がりを
続ける業界にありながら、順調に売り上げを伸ばし続けている。

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今までのやり方が通用しない半面、新しいことに
チャレンジするヤマサ醤油、

 

濱口道雄会長は代表権は継続する、そんな
会長のプロフィールや略歴、高校、大学など
調べて見ました。

 

画像:http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/nagomi…

濱口 道雄(はまぐち みちお)会長 の経歴

役職:ヤマサ醤油 会長  濱口家12代目当主

誕生:1943年5月22日生まれ

出身地:千葉県

出身高校:麻布高校

出身大学:1966年慶應義塾大学商学部卒

職歴:

1966年に卒業して東邦生命保険相互会社に入社

1968年月ヤマサ醤油株式会社入社

取締役、常務取締役を経て

1983年からは代表取締役社長

2017年からは代表取締役会長

兄弟:3人兄弟の長男

 

ヤマサ醤油社長石橋 直幸氏(いしばし・なおゆき)

東京都出身。38歳

2000年慶應義塾大学法部卒

さくら銀行(現三井住友銀行)入行

2005年ヤマサ醤油入社

2012年常務

2017年社長

 

ヤマサ醤油の歴代社長

初代濱口儀兵衛は

紀州広村(和歌山県有田郡広川町)の出身です。彼が紀州から銚子に渡り、

創業したのは1645年(正保2)とされています。

 

(他に、1700年(元禄13)に銚子店を開いた時に

醤油醸造を始めたという説もあります)

二代 濱口教了

三代 濱口教寛

四代 濱口安六

五代 濱口灌圃

六代 濱口保平

七代 濱口梧陵

八代 濱口梧荘

九代 濱口梧圃

十代 濱口梧洞

十一代 濱口勉太

十二代 濱口道雄

※7代:濱口梧陵(物語『稲むらの火』のモデルとして知られる)

十二代 濱口道雄会長は濱口梧陵の玄孫にあたる
子、孫、玄孫(やしゃご)。

ヤマサ醤油 とヒゲタ醤油

ヤマサ醤油(千葉県銚子市)

ヒゲタ醤油(千葉県銚子市)

ヤマサとヒゲタは同じ銚子市にあります。

ヤマサ醤油

1645年 に 廣屋儀兵衛商店として創業だそうです。

創業者の名前は初代の濱口儀兵衛氏で、この方が自分の名前の「儀」を取って∧の下にキを入れたマーク(「山笠にキ」)を商標としたいと考えるが、

紀州徳川家の船印と同じだったため、キを横向きにした所、サと読めることからヤマサとした、ということです。

濱口儀兵衛氏が紀州から銚子に渡り、創業したのは1645年(正保2)とされている。

ヒゲタ醤油ですが

1616(元和2)年3代目田中玄蕃(げんば)が溜り醤油の製造販売を始める

(ヒゲタ醤油の創業)とあり、

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摂津国西宮(兵庫県西宮市)の酒造家で海産物問屋を営んでいた

真宜<さなぎ>九郎右衛門が、

 

3代目田中玄蕃に製造法を伝授したということで、

創業者はこの方になるようです。

 

両者の関係とは、『初代の濱口吉右衛門はヤマサの初代の

濱口儀兵衛の兄である』ということです。

 

ヤマサ醤油の上のマークは右上、ヒゲタ醤油の上のマークは左上?

 

ヤマサ醤油を西の濱口家、ヒゲタ醤油を東の濱口家と言っています。

そんなところが左右の違いに関係してるのかもしれません。

 

お上(幕府)が認めた最上醤油の証ということなんだとか。

『1864年(元治元:江戸末期)、幕府がインフレ対策として、

市場に物価引き下げを命令しました。

 

これに対して、醤油醸造所が異議申し立てをしたところ、

ヒゲタ醤油・ヤマサ醤油を含む7醸造所

(他に銚子のヤマジュウ・ヂガミサ、野田のキッコーマン・

キハク・ジョウジュウ)が、価格の据え置きを許可された上、

 

品質において優れているとして「最上醤油」に格付けされました。

 

以後、マークに「上」の文字が入るようになりました。』ということで、

要するにお上のお墨付きをもらったということなのです。

 

ヒゲタ醤油とキッコーマンの提携はなぜ?

ヤマサ醤油とヒゲタ醤油は兄弟の会社ですが、
後にヒゲタ醤油は

キッコーマン(千葉県野田市)

1937年(昭和12年)同じ千葉県に本社を
置く

醤油メーカー最大手の野田醤油株式会社(現在のキッコーマン株式会社)と

資本提携を結び経営統合する、

 

1947年(昭和22年)に経営分離してます。

1966年(昭和41年)には販売委託で
キッコーマンと再び提携を組み、

 

2004年(平成16年)
キッコーマンと58年ぶりに資本提携を結んでいます。

 

どういう経緯でヒゲタ醤油がキッコーマンの一員になったのか

その理由は

ヒゲタ醤油(この時はまだ銚子醤油)はこの時期に、

野田(キッコーマン)の巨大工場

 

「野田第17工場」に対抗して巨大新鋭工場
「銚子醤油 第五工場」を着工しており、この設備投資費が経営を圧迫した。

 

ヒゲタはその巨大さゆえに倒産寸前となっていたのであった。

 

そこでキッコーマン(野田醤油)が、資本提携によりヒゲタを再建したのだ。

 

そのときに、キッコーマンから多くの役員がヒゲタに派遣され、

ヒゲタ醤油(銚子醤油)の社長も、キッコーマン一族の茂木七左衛門が勤めた。

 

現在では再び社長は濱口家に戻ったが、
これ以来、「ヒゲタ醤油の販売はキッコーマンが扱う」ようになった。

 

最後に

ヒゲタが業界ナンバー3ながらもヤマサと違い、

あまり一般家庭用が目につかないのは

(業務用メインだからという理由以外に)そういう理由があるわけです。

 

むしろキッコーマンと競合しないよう業務用
メインになった。

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