平成のブラックジャック&世界の金平永二(かねひら・えいじ)先生は、
現在は内視鏡外科医、メディカルトピア草加病院の院長である。
内視鏡外科手術のパイオニア・技術職人。
胆のう、胃、大腸、膵、脾など幅広い消化器疾患の内視鏡外科手術を
2000例以上執刀されてます。
世界トップクラスのエキスパート。
金平先生の手術では傷跡が残らず、「奇跡の腕」だと噂になっている。
そんな金平永二先生の経歴に大学や妻も外科医?草加病院など調べて見ました。
画像:https://medicalnote.jp/doctors/180221-001-SP
金平永二(かねひら・えいじ)先生の経歴
職業:メディカルトピア草加病院
院長・外科診療顧問
誕生日:1960年4月12日生まれ
年齢:58歳(2018年10月現在)
出身地:京都府出身
出身大学:金沢大学医学部卒業
趣味:スノーボード、パラグライダー、インラインスケート、アイススケート、テニス
語学:英語・ドイツ語・イタリア語・中国語
資格・認定医
日本内視鏡外科学会技術認定医
日本消化器内視鏡学会指導医
日本消化器外科学会指導医
日本外科学会専門医
金平永二先生は高校生の時、山で動・植物や昆虫を撮影する
「カメラマン」を夢見ていたそうです。
しかし家族などの反対もあり金沢大学の医学部に入学し卒業した。
1985年に金沢大学付属病院第一外科に研修医として勤務をはじめる。
心臓外科から消化器科に転科されます。
1991年ドイツTuebingen大学医学部外科、Gerhard Buess教授の指導のもと、
内視鏡外科手術を学ぶ。
1992年に金沢大学医学部附属病院心肺総合外科講師。
2002年に「ELK;Endosurgery Laboratory Kanehira金平内視鏡外科研究所」を
設立。
2002年フリー外科医 依頼手術をフリーランスで執刀。
全国60か所以上およびシンガポール、
ニュージーランド、香港、台湾、韓国で執刀。
2005年に四谷メディカルキューブ
きずの小さな手術センター長。
2008年に上尾中央総合医科グループ
内視鏡外科アカデミー代表。
上尾中央総合病院 外科診療顧問
2012年にメディカルトピア草加病院
院長・外科診療顧問 現職
日本の内視鏡手術の問題とは?
2002年「ELK;Endosurgery Laboratory Kanehira金平内視鏡外科研究所」を設立。
フリーランス外科医として活動を始めます。
ELKは、エルクと呼び、
ホームページ作成から始まり、自分を売り込みながら、内視鏡普及に努めました。
それは1992年当時は、内視鏡手術は保険の適用外のため、
とても高額で保険適用を認めるよう働きかけますが、保険適用を認めませんでした。
また所属の消化器外科でも認められず、
大学病院という組織に所属している医者であれば行動制限があるため、
日本初のフリーランス外科医になることを決意したのです。
金平永二先生の妻も外科医?
金平 文(かねひら・あや)先生の経歴
旧姓:亀井 文
職業:メディカルトピア草加病院
誕生日:未公開
出身地:横浜市出身
出身大学:北海道大学医学部卒業
2004年に北海道大学医学部卒業
手稲渓仁会病院 外科初期研修、後期研修にて外科チーフレジデントを務める 。
2010年にサンジョバンニ病院(イタリア、ローマ)臨床留学にて内視鏡外科手術を学ぶ 。
2011年に上尾中央総合病院外科 。
2012年にメディカルトピア草加病院外科 鼠径ヘルニアセンター長就任 。
2014年に日本内視鏡外科学会技術認定医取得 (腹腔鏡下鼠径ヘルニア修復術にて取得) 。
2017年に日本ヘルニア学会評議員。
2018年に現在はヘルニアセンター長を務め、
主に消化器外科並びに鼠径ヘルニアの腹腔鏡下手術に従事する。
特に細径鉗子を用いた小さな傷の腹腔鏡下鼠径ヘルニア修復術の安全な普及に努めており、
全国で講演や執筆活動を行っている。
夫婦でメディカルトピア草加病院に勤務されておりますが、
2014年の記事に4年間弟子入りして
手術の腕は師匠の金平先生と並ぶほどに成長を遂げた、
とありますから結婚は2014年以降だと思われます。
お二人とも年齢的に再婚なのか初婚なのかは情報がありませんでした。
メディカルトピア草加病院はどこ?
住所:埼玉県草加市谷塚1-11-18
電話:048-928-3111(代表)
アクセス
東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン) 谷塚(やつか)駅
谷塚駅東口から、北千住方面へ徒歩約2分
銀座・上野方面からは、地下鉄日比谷線が乗り入れ運転しています。
上野 ←→ 谷塚 (25分)
最後に
現在は傷の治りも早く当たり前の手術
の内視鏡手術ですが、
金平永二先生の力が大きいのがはじめて
知りました。