高村光雲(西郷隆盛像)の作者で犬は後藤貞行作!モデルは山形県人とは?

西郷隆盛の大河ドラマでお馴染みですが、
西郷隆盛が西南戦争で亡くなってから21年後に、

東京の上野に隆盛の銅像が建てられました。

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しかし3番目の妻・糸子(いとこ)(いと)(イト)とも呼ばれていたかたですが、

東京の上野に隆盛の銅像が完成したのを見て

「これは、やどんしじゃなか(これは、うちの主人じゃない)」

声を上げたという逸話があります。

 

その作者が「高村光雲」なのですが、まったく似てない銅像を作ったのですが、

高村光雲は、あえて西郷をこの姿で残したと言います。

 

写真嫌いで今も本当の顔は定かではない、
西郷隆盛像モデルは山形県人、横にいる
犬は後藤貞行作?

 

そんな高村光雲やモデルは山形県人、横にいる犬は後藤貞行作など調べて見ました。

 

画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E…

高村光雲(たかむら・こううん)の経歴

職業:仏師、彫刻家

誕生日:1852年3月8日生まれ

死去:1934年 82歳

兄弟は

長男に高村光太郎

詩人・歌人・彫刻家・画家

三男は高村豊周

鋳金家、金沢美術工芸大学名誉教授

 

11歳の時に仏師の高村東雲の元に徒弟となる。

後に東雲の姉・エツの養子となり、高村姓となる。

 

1889年(明治22年)から東京美術学校に勤務し、

翌年には彫刻科教授になる。

 

同年10月2日には帝室技芸員に任ぜられる。

1893年(明治26年)には『老猿』をシカゴ万博に出品されてます。

1900年(明治33年)には『山霊訶護』をパリ万博に出品。

1926年(大正15年)に東京美術学校を退職し名誉教授に就任。

 

高村光雲の弟子には山崎朝雲、山本瑞雲、米原雲海、関野聖雲など

近代日本彫刻を代表する彫刻家がいた。

 

西郷隆盛像の作者で犬は後藤貞行作?

西郷隆盛像は高村光雲によって作られましたが、その横にいる

犬の蔵は後藤貞行の作だと言われてますが、

たぶん後藤貞行は馬など動物のスペシャリストとして、

部分製作を請け負っていたようです。

 

当時のブロンズの原型は木彫が使われていたようで、木彫家の光雲が請負い、

部分をそれぞれの得意とする彫刻家に分業して製作したようです。

「上野の山の桜と西郷隆盛像」

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上野の山の桜は、天海僧正(1536 – 1643)が、江戸城鎮護を祈願して寛永寺を創建した時、上野の山の随所に桜の木を植えたことに始まる。桜の名所として知られるようになったのは元禄年間(1688 – 1704)。上野公園入口に建つ西郷隆盛(1827 – 1877)像は、明治31年(1898)の建立で、筒袖に兵児帯姿、わらじばきの像は高村光雲(1852 – 1934)の作。連れ添う犬は後藤貞行(1849または1850 – 1903)の作。咲き誇る桜の絵あり。上野の山の西郷隆盛像が描かれた商標が、書き写されている。

清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「上野の山の桜と西郷隆盛」より抜粋

犬の名前は薩摩犬であった雌犬の「ツン」である、

 

しかしモデルは海軍中将・仁礼景範の雄犬をモデルにして雄犬として作成された、

また、実際の薩摩犬は像よりもっと小さく、高村は少し大きめにするよう要望したという。

西郷隆盛像モデルは山形県人?

この話題は、山形県東村山郡中山町の広報「なかやま」(平成21年5月15日号)に掲載されたものであり、多くの山形県人はしいている。

 

広報「なかやま」のTOPICに、

「中山と鹿児島の不思議な縁」西郷隆盛像製作秘話 とある。

城山の西郷像モデルは、元山形県議会議員の石澤宏太郎氏と判明した。

その証拠写真が仙台市の遺族宅で見つかった経緯などが掲載してある。

西郷が実際に着用した陸軍大将の軍服を、東京・代々木にあった彫刻家(彫塑)、

鹿児島出身の安藤照(あんどう てる)のアトリエで身に着けた写真など17点で、安藤照と書かれた名刺と共に保管されていた。

安藤は西郷の孫にあたる西郷隆治さんをモデルにし、

それを彼の主観でアレンジして造形したのではないかと思っている。

安藤は鹿児島二中の出身であるが、隆治さんも二中の出身だ。

大体同じころに在学している見当でもある。隆治さんは西郷が奄美大島る流謫中にめとった島の娘アイカナの産んだ菊次郎の子で、

西郷に最もよく似ているといわれている人である。(中略)ともあれ、安藤のつくった銅像は隆治さんによく似ている」という。

安藤照は、山形県鶴岡市出身の日本犬保存会・斎藤弘吉(さいとうひろきち)からの依頼により渋谷駅前の初代ハチ公像も造っている。「鶴岡ハチ公保存会」もある。

「ハチ公」のことが有名になった切っ掛けは、山形県出身の斎藤弘吉が昭和7年9月、朝日新聞に投書したことだったことはあまり知られていないようだ。

因みに、二代目「忠犬ハチ公像」は安藤照氏の長男、安藤士(あんどう たけし)の作品。

山形県東村山郡中山町の広報「なかやま」
(平成21年5月15日号)から抜粋

最後に

像の製作は彫刻家の高村光雲、犬のツンの像は、馬の彫刻家の後藤貞行であるが、

別の犬をモデルに彫ったためメス犬だったツンがオス犬になってしまった。

いろんな情報がこれからもでてくるかもしれません。

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