金栗四三(大河ドラマいだてん)マラソンの父!経歴や妻に92年の生涯とは?

NHK2019年大河ドラマ「いだてん」が
放送されるが、

宮藤官九郎さんのオリジナル脚本である。

ドラマの主役は2人となる

●オリンピックに初参加した男
金栗四三(かなくり・しそう)さんに、
中村勘九郎さん。

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●オリンピックを呼んだ男
田畑政治(たばた まさじ)さんに、
阿部サダヲさん。

知られざるオリンピックの歴史が分る
ので楽しみですが、

金栗四三(かなくり・しそう)さんですが発表までは知りませんでした。

日本マラソン界の発展に大きく寄与するなど日本における「マラソンの父」と称

された方なのです。

そこで「いだてんのモデル」の金栗四三
(かなくり・しそう)さんの

妻や子供に92年の生涯など調べて見ました。

画像:https://promo-lab.jp/lp/marathon/index.html

金栗 四三(かなくり・しそう)さんの経歴

誕生日:1891年明治24年)8月20日

没:1983年(昭和58年)11月13日

出身地:熊本県玉名郡春富村(現・和水町)

出身中学:旧制玉名中学(現・熊本県立玉名高等学校)

出身高校:東京高等師範学校(現・筑波大学)

職業:師範学校教師、熊本県初代教育委員長

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の開催に尽力し、

日本に高地トレーニングを導入したり日本マラソン界の発展に大きく寄与するなど

日本における「マラソンの父」と称された。

金栗四三さんの少年時代は?

金栗四三さんは1891年明治24年)
8月20日生まれで熊本県玉名郡春富村(現・和水町)出身です。

兄弟は男4人、女4人の8人兄弟の7番目になる、

金栗四三さんが生まれたときは43歳だったので名前が「金栗四三」とつけられた。

父親の家業は酒造業ですが金栗四三は小さい頃は虚弱体質だったそうで

夜泣きに家族は手を焼いていたが、

5才頃には人並みに健康な子供になり、祖母に甘えるやんちゃ坊主で

超自然児として育っていく。

冬は「藁草履(わらぞうり)」で夏は裸足で小学校へ通ッていた、

驚くのは片道6キロ、往復12キロの道のりを毎日走り通っているのです。

現在では考えられないです、素足で走る
くらい足の裏が丈夫だったのでしょうね。

しかし毎日走ることで学友たちより早かったのです。

これが金栗少年の違いが出てきます、それは呼吸法を知ったのです、

「吸うとき2回、吐くとき2回」私自信も走るときは教えてもらったので

実行してます、金栗少年は自分で気がついたのですね。

東京高等師範学校へ

当時は小学校を出ただけでもスゴイ時代なのですが当時地区内では初となる旧制玉名中学への進学してます。

成績優秀でしたがスポーツは走るのは早かったが、それ以外のスポーツは苦手だった。

旧制中学の卒業後は、海軍兵学校を目指しましたが結膜炎のせいで身体検査に引っかかって不合格に。

失意の金栗さんは日清戦争・日露戦争に勝利して勢いが上向きだった日本だったので
中国大陸で活躍したい夢が沸き、

大陸留学生の資格を得るため、金栗さんはは「受験に慣れておこう」と

東京高等師範学校(現・筑波大学)も受けて合格する。

しかし兄に「師範学校で立派な教師を目指したらどうだ」と説得されて、

1910年(明治43年)に東京高等師範学校へ入学する。

嘉納治五郎との出会いは?

東京高等師範学校では、毎年春と秋に長距離走大会があり、

春は25位だったが秋には3位に入賞し
校長から表彰された校長が、

日本の近代スポーツ界を牽引した、嘉納治五郎校長だった。

これが金栗さんの運命を変えたのです。

1911(明治44)年に金栗四三さんは東京高等師範学校の本科に進み、

徒歩部(現長距離)に入ります。

人の2倍練習を続けた四三さんは徒歩部で一番の長距離ランナーになりました。

金栗四三さん第5回オリンピック ストックホルム大会に!

日本のオリンピック初参加に向けた国内予選会が開かれること知り、

参加することになった、

しかし25マイルマラソン(1マイル=1.60934kmです)。

約40Kmですが金栗さんは24Kmしか走ったことが無かったが挑戦したのです。

当日は悪天候で、とても寒い日でしたが、四三さんは黒足袋でがんばり、

みごと優勝する、

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しかも当時の世界記録を27分も縮める
2時間32分45秒というすごい快挙をなしとげ

1912(明治45)年、いよいよ日本が初参加する第5回オリンピック

ストックホルム大会に出場。

マラソン競技の当日は大変な猛暑で、選手68人中34人が棄権するという

状況でした。

四三さんも途中で熱中症になり意識がもうろうとなって走れなくなり、

近くのペトレ家で介抱されることになりますが、四三さんが目を覚ました時は何と翌日になっていたそうです。

大会会場に戻って来なかった金栗四三さんは「消えた日本人」として噂になったそうです。

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1914(大正3)年に金栗四三さんは東京高等師範を卒業し研究科へ進学されます。

関連サイト

金栗四三(大河ドラマいだてん)グリコ看板秘話やミュージアの場所は?

金栗四三(いだてん)の妻・春野スヤと子供や子孫は?

金栗四三さんの結婚や子供は?

1914(大正3)年に池部家の養子となり、4月に春野スヤさんと結婚。

四三さんが24歳の時ですが、結婚はお見合いだったのです、

奥さんの春野スヤさんとは一度も会ったことがなかった、

昔はこれがあたりまえのことでした。

子供は6人おりその後孫も10人おり
2012年にひ孫の蔵土義明さんが、

ストックホルム開催100周年式典に
招待され金栗四三さんと同じコースを
完走されている。

東京高等師範研究科を卒業し東京府女子師範学校などで教壇に立ちながら、

後進の指導にも力を注ぎます。

四三さんはストックホルム大会での雪辱を晴らすために、

第6回ベルリン大会に向けてがんばるのですが、悔しいことに第一次世界大戦のために中止となり出場できず、

第7回アントワープ大会に出場するのですが、メダルには届かず16位という結果でした。

33歳の時に第8回パリ大会にも出場しますが、途中で意識不明となり棄権をする。

1945(昭和20)年に熊本に帰郷すると、熊本県体育協会の設立に力を注ぎ、翌年初代会長に就任。

1948年に熊本県の初代教育委員長に就任。

その後、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受章。

1967年の75歳の時にスウェーデンオリンピック委員会から

第5回オリンピックの55周年記念祝賀行事に招待される。

金栗四三さんは大観衆が見守る中、ストックホルムスタジアムを10m程走り、用意されていたゴールテープを切ったのです。

日本の金栗選手、ただ今ゴールイン。記録は通算54年と8月6日5時間32分20秒3。これをもちまして第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了といたします

いきな計らいで感動させられました。

1983年(昭和58年)11月13日に
92歳で永眠されました。

最後に

金栗四三さんのマラソンにかけた生涯は日本の陸上界の「マラソンの父」として

いまも受け継がれて行くでしょう。

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