手代木 功(てしろぎ・いさお)塩野義製薬 社長です。
塩野義製薬の生え抜き社長で創業140年以上となる老舗企業を
立て直した方なのです、
今注目されている、1回飲むだけの新たな
インフルエンザ治療薬「ゾフルーザ」です。
これまでは定番薬の「タミフル」が主流でしたが、
塩野義製薬の「ゾフルーザ」はウイルスの増殖を直接抑える、これまでになかったタイプで、
最大の特徴は、1回の経口投与で治療が可能な点。
従来薬よりも早く効果が表れて長く続くことから、治療薬の勢力図を大きく変える見込みだ。
そんな手代木 功社長の経歴や大学に妻や子供は?手代木マジックなど調べて見ました。
画像:http://www.shikoku-np.co.jp/national/medical_healt…
手代木 功(てしろぎ・いさお)社長の経歴
役職:塩野義製薬株式会社 代表取締役社長
誕生日:1959年12月生まれ
年齢:59歳(2019年1月現在)
出身地:仙台市
出身高校:宮城県立仙台第一高等学校
出身大学:東京大学理科Ⅱ類に入学→
東京大学薬学部を卒業
家族:妻・息子2人
職歴
1982年に塩野義製薬に入社し開発部門に配属。
1987年に米国ニューヨークオフィスに駐在。
1991年に帰国。開発渉外部に配属。
1994年に2度目の米国駐在。カプセル会社に出向し、営業の責任者。
1997年に帰国。社長室に配属。
1999年に秘書室長兼経営企画部長。
2002年に取締役、経営企画部長。
2004年に常務執行役員、医薬研究開発本部長。
2006年に専務執行役員。
2007年から¥4本部を管掌。
2008年4月に塩野義製薬社長(現任)。
2011年5月に日本製薬工業協会会長
(~14年5月)
2018年5月に日本製薬団体連合会会長(現任)
手代木功社長は仙台市生まれで両親と姉の
4人家族、父親は東北電力の技術者だった。
父親の仕事の転勤により幼稚園は2回、
小学校は3回転向した。
転向しても性格が目立ちたがりのお調子者だったので友達はすぐに出来ていた、
将来は「免許(国家資格)を取って食べていける仕事に」を目指す、
しかし血を見るのが大の苦手で、人が献血しているのを見て貧血を起こすほどで、
医者をあきらめ、薬学部を選んだそうです。
学生時代は研究が苦手だったので、あえて営業職を志望し塩野義製薬に入社した。
手代木功社長の妻や子供は?
手代木功社長は関西に本社を置く塩野義製薬に1982年に入社してます。
その後は30年以上も関西で生活されておりますが、
奥さんと出会いは東京時代だったが、学生時代は朝から晩までマージャンをしていた、
マージャン仲間から奥さんを紹介されてお付き合いされたのです。
しかし奥さんは東京出身でしたが、両親が関西に転勤となり奥さんも関西に行ってしまうが、
再び関西で会うことになり4年後に結婚されまして、お子さんは2人の息子さんがいる
そうですが、
一般の方なので情報はありませんが、お二人とも東京弁と関西弁を
上手く使い分けて話すそうです。
手代木功 マジックとは?
少し前まで「鳴かず飛ばず」とされた塩野義製薬を復活させたのが手代木功社長だ。
世界大手との巧みな提携などで自社開発の大型新薬を連発している。
業界で「手代木マジック」と称される経営手腕を発揮している、
「独自の創薬技術を確立した企業でなければ生き残れない。
塩野義製薬はこれからも全体の売上高に占める自社開発品の比率を50%以上に維持していく、
塩野義製薬は共同開発品を含めて6割強と圧倒的に高い。
東京大学発ベンチャーのペプチドリームなどとの提携を仕掛けたことも
業界関係者を驚かせたのです。
開発リスクも認識しながら、電光石火の早業で提携をまとめ、
「10年先、20年先を見据えながら足元で着実に妙手を打っていく。
これが「手代木マジック」なのです。
最後に
インフルエンザ治療薬「ゾフルーザ」は
1回の経口投与で治療が可能な点は、
短日で良いのはありがたいことです、
仕事で迷惑かけなくても良いのですから。