田村 セツコ(たむら:セツコ)さんは
原宿に住む魔女といわれているが、
女性イラストレーターの草分け的存在にしてエッセイストの大御所なのです。
19歳の時から今のまま 原宿に住む81歳のイラストレーター、
「元祖ケラっこスタイル」
「りぼん」「なかよし」などの少女マンガ誌や、サンリオの「いちご新聞」での
長期連載など、多くの女性に愛され続けてきた。
最近はメディアで「kawaii(カワイイ)」文化の元祖などと言われて、
若い女性からも熱いラブコールが送られている。
そんな田村 セツコさんの原宿に住む魔女?
私生活や独身の分けなど調べて見ました。
画像:https://interested-media.com/tamura-setsuko-5131
田村 セツコ(たむら:セツコ)さんの経歴
職業:イラストレーター、エッセイスト
誕生日:1938年2月4日生まれ
年齢:81歳(2019年度)
出身地:東京都目黒区
出身高校:東京都立八潮高等学校
兄弟:4人兄弟の長女(下に妹2人・弟1人)
職歴:安田信託銀行 秘書室に勤務
田村 セツコさんの父親は警察官であった、4人兄弟の長女で下に妹2人・弟1人おります。
田村 セツコ子供時代からイラストを描くのが大好きで紙と鉛筆があればご機嫌だった,
高校は東京都立八潮高等学校に入学されてますが、
当時の家庭では中学校卒業が当たりまえで、まして子だくさんが多く就職が
多かった時代です、かなり裕福だったと思われます。
高校でも美術部に入部して絵を書くことを続けていたが、
将来イラストレーターになるために
田村セツコさんが行動したことは、
童画家の「松本かつぢ先生」に直接手紙を出してどうすればその道で仕事が
出来るのか聞いたそうです。
今まで書き溜めてたイラストも送ったところ、松本かつぢ先生に弟子入りする
機会を得たのです。
高校卒業後安田信託銀行に入社するも、月に一度は松本宅に通い指導を受ける。
松本先生の紹介で「女学生の友」の読書投稿欄(銀の泉)にカットを描き、デビュー。
1957年5月に安田信託銀行を退社した。
1958年に「少女クラブ」の小説挿絵を急病の画家の代わりに描く。
1960年「りぼん」におしゃれページ(「こんにちはおじょうさん」)の連載を開始。
1963年初の装幀本となる『あしながおじさん』が刊行された。
1965年「なかよし」にもおしゃれページ(「ボンジュールおじょうさん」)を連載開始。
1969年イラストを用いたグッズの販売が増加(以降、コクヨ、リリック、サンリオ、セイカノート、トンボ、クツワなど十数社より発売)。
1975年「いちご新聞」(サンリオ)創刊。イラストエッセイの連載を開始し、現在も続いている。
1980年代には、『若草物語』や『赤毛のアン』などのカバーイラストを担当。
また詩作やエッセイも数多く発表しています。
2019年4月にはとちぎ蔵の街美術館で「田村セツコのHAPPYがいっぱい!」開催した。
田村セツコさんの私生活や独身の分け?
父が逝き、母と妹を介護の末に見送った田村さんは、
「世間で言うところの独居老人」である、
シニアのひとり暮らしを楽しんでいるのです。
ひとりになることも、おばあさんになることも「冒険だと思えばいいのよ」と語る田村さん。
誰だって、おばあさんになるのは初めての経験。
『不思議の国のアリス』は、穴に落っこっちゃったり、わけのわからない女王様にふりまわされたりするでしょう? それと同じ。
アリス気分で勇気を持って立ち向かうの。腰が痛くなったら、“腰が痛いワールド”に入っちゃったからクリアしなきゃ、って(笑)」
逆境や予期せぬ出来事に阻まれたら、「これは冒険だ」と思って乗り切る。
それが孤独さえ楽しむコツなのだ。
自身を「メモ魔」と言う田村さんのメモ帳は、文字やイラストでびっしりだ。
「朝から夜までメモ帳とおしゃべりしているから、結構忙しいの。
こんなこと言うと、ついにボケたかって思われるかもしれないけど(笑)、おばあさんは何を言ってもやってもいいのよ」
孤独も年齢もポジティブにとらえている。そのせいか、少女のころからおばあさんは憧れの存在だった。
「おばあさんって男性でも女性でもなく、“第3の女”って感じでしょ?
誰に話しかけてもいいし、何を着てもいいし、オールマイティーのフリーパスポートをもらった感じ」
田村セツコさんは独身?
田村セツコさんは美人で安田信託銀行秘書室に勤務してましたから、
相当もてたと思いますが、
現在までずっと独身なのです。
イラストの仕事一筋で生きてきたので
徹夜など結構不規則な仕事で、
締め切りが迫れば徹夜続きもありますから一人が気楽なのかもしれません。
80歳を超えても自立して誰にも依存してない生き方は素敵です。
最後に
田村セツコさん自宅がゴミ屋敷と自ら呼んでいる、
お母さんが小さいころから廃品を利用してなんでも作る姿を見て育った
経験から田村セツコさん自身も、
集めた不用品でコラージュ作品を生み出しているため、
不用品が部屋に一杯あるためなのです。