田島道治(初代宮内庁長官)の経歴に銀行やソニー会長!皇太子妃指示も?

田島道治(たじま・みちじ)初代宮内庁長官は国のために奉仕した生涯で、

私費で学生寮の建設し最も困難な時期の宮内庁長官をされた方です。

田島道治氏は銀行家であり、宮内庁長官、さらにソニーの会長までも経験し

た異色の人物である。

派手なパフォーマンスを極端に嫌い、堅実に仕事をこなす地味な実務家であった。

また彼にはもう一つ別の、教育者としての顔があった。

国の将来のため、リーダーを育成した、日本の将来を託すべき東大の学生のために、

私費で学生寮を建設してしまったほどである。

スポンサーリンク

名を残そうという考えはなく国を思う真摯な気持ちの表れであった。

そんな田島道治氏の経歴に銀行やソニー会長!皇太子妃指示など調べて見ました。

画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E…

田島道治(たじま・みちじ)氏の経歴

誕生日:1885年7月2日生まれ

死去:1968年12月2日 83歳

出身地:愛知県名古屋市

出身校:愛知県立第一中学校→東京府立第一中学校へ転校

出身大学:東京帝国大学法科大学法律学科を卒業

家族:妻 ミシ(岐阜県、野々村久次郎3女)

長男 譲治(学習院大学名誉教授)

妻周子は元外相松岡洋右長女

二男 恭二

職歴

1911年(明治44年)愛知銀行(のちの東海銀行、現在の三菱UFJ銀行)に入行し調査部長。

1916年(大正5年)鉄道院総裁の後藤新平に引き抜かれ総裁秘書。

1920年(大正9年)愛知銀行に戻り常務取締役に就任。

1927年(昭和2年)昭和銀行が設立同銀行常務取締役。

昭和銀行頭取に就任。

スポンサーリンク

1938年(昭和13年)日本産金振興会社社長に就任。

全国金融税制会理事、日本銀行参与などを歴任。

戦後の1946年(昭和21年)3月大日本育英会(現在の日本育英会→日本学生支援機構)会長兼理事長事務取扱に任命。

同年7月には貴族院議員に勅選され、日本国憲法など重要法案審議に参加。

1948年(昭和23年)6月宮内府長官に任命される。

1953年(昭和28年)に宮内庁長官を辞任。

東京通信工業株式会社(ソニー)の監査役に就任。

1959年 ソニー取締役会長、相談役を歴任。

1961年 – ソニー商事取締役。

田島道治氏は愛知県名古屋市中区伊勢山町に田島五郎作、芳夫妻の三男として生まれる。

しかし上の兄二人は出生後に亡くなっているため、長男として育てられた。

生家の田島家は、三河国高浜に500年続いた旧家であったが、明治維新によって没落し、

名古屋へ移っている。

母・芳は、田島氏が8歳のときに亡くなっている。

心に生じた空白を勉強に打ち込むことで埋め合わせた。

小学校を卒業後は名古屋の名門校愛知県立第一中学校に進学。

しかし抑えがたき向学心は、名古屋では満たされることはなかった。

田島氏は東京の名門校府立一中(現在の日比谷高校)への転校を決意する。

父親は反対されたが説得し一高(現在の東大教養部)に進学し、

1906年には東京帝国大学に入学したのです。

田島道治氏が皇太子妃選考指示?

上皇さまの皇太子時代の側近トップ故鈴木菊男元東宮大夫(1906年~1997年)が

(昭和二十六)年に田島道治宮内庁長官から旧華族の家族で就学中の女子の調査を命ぜられた。

故鈴木菊男元東宮大夫が極秘の一人の作業だったとしている。

「主な女子大」に皇太子妃の候補となる人物の推薦を極秘に依頼。

「学習院」と「聖心女子大」から聖心女子大を卒業した美智子さまが

「唯一の候補として合意された」としている。

最後に

明協学寮の元寮生たちは、今もなお道治氏の命日に「明協会」を開いているそうです。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る
コメントは利用できません。

NHK朝ドラ なつぞら

NHK朝ドラ なつぞら

NHK連続テレビ小説「なつぞら」奥原なつ(広瀬すず)の
実在モデルはだれなのか?

NHK大河ドラマいだてん

NHK朝ドラ スカーレット

NHK朝ドラ スカーレット

NHK朝の連続ドラマ小説スカーレット川原喜美子(戸田恵梨香)のモデルは神山清子さんの半生

忍者