松下むめの(松下幸之助の妻)でもう一人の創業者とは?経歴や学歴に結婚など?

松下 幸之助(まつした・こうのす)氏は
パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、

松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。

異名は「経営の神様」で有名な方です。

しかし松下幸之助氏を陰で支え続けた

「もう一人の創業者」その人物こそ幸之助氏の妻、「むめの」さんだった。

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五里霧中の商品開発、営業の失敗、資金の不足、人材の採用と教育、

関東大震災と昭和恐慌、最愛の息子の死、戦争と財閥解体。

幾度も襲った逆境を陰から支えてきたのが
「松下むめの」さんです。

そんなもう一人の創業者とは?経歴や学歴に結婚など調べて見ました。

画像:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48566?page=7

松下むめの(まつした・むめの)さんの経歴

旧姓:井植むめ(いうえ・むめの)

夫:松下幸之助

誕生日:1896年(明治29年)生まれ

没:1993年(平成5年)9月5日、
97歳で死去

出身地:兵庫県淡路島浦村(現在の淡路市)

夫:松下幸之助

弟:井植歳男(いうえ・としお)

実業家、元三洋電機社長

井植むめ(いうえ・むめの)さんは
1896年(明治29年)に、

兵庫県淡路島浦村(現在の淡路市)にて、淡路島の裕福な船乗りの

井植家の次女として生まれる。

浦高等小学校卒業後に大阪の船場の旧家に奉公に出ている。

1915年(大正4年)に19歳で松下幸之助氏と結婚。

親もない家もない、財産も学問もないという大阪の電気工・松下幸之助氏と結婚した。

「松下むめの」さんにとっては姑(しゅうと)のいない気楽さと、

財産も一から夫婦で築いてゆくことを望んでの結婚であったが、

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それは貧乏生活の始まりでもあった。

大阪の小さな長屋でのつつましいが幸せな暮らしが続いたが、

幸之助氏は新婚早々勤めている大阪電灯
(現関西電力)検査員の仕事がつまらないと、会社を辞めてしまう。

意気消沈した幸之助氏に、「むめの」さんは独立を促す。

しかし独立し二人三脚で松下製作所を始めるが、うまく行かなかった。

「むめの」さんは

「成功するまであきらめない。
成功の秘けつは成功するまでやめないこと」

という幸之助氏を陰から支え質屋に通い、得意の針仕事の内職で助けてゆくのです。

松下製作所の経営が軌道に?

失敗を続けるが、そんな折に扇風機の部品の大量注文が舞い込んだ。

幸之助氏は見事な技術を発揮し、一気に会社の経営は軌道に乗ってゆく。

第二次世界大戦で松下製作所の危機?

第二次世界大戦で日本が負けて終戦後、
GHQから思わぬ財閥指定を受けた松下電器製作所は、

財産の没収など最大のピンチを迎える。

幸之助氏の財閥指定解除の嘆願が続くなか、「むめの」さんは

懸命に松下家を守っていくのです。

しかしどんな時も前向きな「むめの」さんに励まされた幸之助氏は、

GHQへの嘆願を成功させたのです。

松下電気器具製作所の社員の母」?

1918年(大正7年)の松下電気器具製作所(現パナソニック)グループの前身)の
草創期には、「松下むめの」さんは経理事務を一手に引き受ける一方、

住み込み従業員の食事や風呂の世話などをして事業を支え、

「社員の母」と慕われた。

1933年(昭和8年)に本店・工場が現在の門真市に移ったのを機に、

第一線から退いたが、その後も幹部社員夫人の懇親会「みどり会」を結成し、

側面から経営を支援した。

1993年(平成5年)9月5日、97歳で死去されました。

最後に

「松下むめの」さんの陰の応援がなければ
「経営の神様」松下幸之助氏が誕生しなかったかもしれません。

その後

●『神様の女房――もう一人の創業者・松下むめの物語』

● NHKドラマ神様の女房

などで紹介されました。

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