藤森 照信(ふじもり・てるのぶ)先生は
建築史家、建築家(工学博士)、
東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。
東京都江戸東京博物館館長をされております。
藤森 照信先生は建築家としては遅咲きの45歳でデビューしたのです、
建築と自然との共存を意識した斬新かつどこか懐かしい空間造形を手掛けてきた。
それは「まるでジブリの世界」を連想させる「ラコリーナ近江八幡」の草屋根が評価され、
「自然の素材や植物をどう現代建築に生かすか」というテーマの追求を続ける。
それらの建築作品は、「藤森建築」と称される。
そんな藤森 照信先生の経歴や高校に大学は?父親は教師で生い立ちなど調べて見ました。
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藤森 照信(ふじもり・てるのぶ)先生の経歴
職業:建築史家、建築家(工学博士)
東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。東京都江戸東京博物館館長
誕生日「1946年11月21日生まれ
出身地:長野県諏訪郡宮川村(現:茅野市)出身。
出身高校:長野県諏訪清陵高等学校
出身大学:東北大学工学部建築学科卒業
大学院:東京大学大学院
受賞:日本建築学会賞論文賞(1998年)
日本建築学会賞作品賞(2001年)
東京大学生産技術研究所で村松貞次郎に師事し近代日本建築史を研究。
1984年この頃から一般誌向けに西洋館をテーマにした多くのエッセイを執筆し、写真家の増田彰久とコンビで多くの著作を出している。
1985年に東京大学生産技術研究所助教授に就任。
1991年に45歳で「神長官守矢史料館」を手がけ建築家デビュー。
1997年「ニラハウス」で第29回日本芸術大賞。
2001年「熊本県立農業大学校学生寮」で日本建築学会賞(作品賞)、など受賞多数。
2006年に第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展で日本館のコミッショナーに就任。
縄文建築団を結成し「高過庵」など独自の作品を発表。
2010年に東京大学を定年退職。
工学院大学教授に就任。
2014年に工学院大学を定年退職。
2016年に東京都江戸東京博物館館長に就任。
2019年に工学院大学非常勤特任教授に就任。
2020年3月日本芸術院賞を受賞した。
藤森 照信先生の生い立ちは?
藤森 照信先生は長野県茅野市の宮川というところに生まれました、
藤森 照信先生の父親は小学校の教師だったのです。
子供の頃は日曜日は決まって農作業の手伝いだったそうです。
昔は公務員や学校の先生は給料が安く生活が大変な時代でした。
今では全く逆転してしまい公務員が民間より給料が多くなってしまったのです。
また、信州の冬は寒さが厳しくて,卵も牛乳もお酒も台所の床下にしまっておかないと凍って割れてしまうほどの寒さで、
冷蔵庫を買った時はこれで凍らずに済むと家族一同大喜びしたそうです。
家からは小学校までの道のりは四キロで,歩いて約一時間かけて通学、
毎朝7時前には家を出ていたが,別につらいとも何とも思わなかったが、昔は当たり前の光景だったからです。
山の方から来る人は冬はスキー通学などが当たり前の時代だったのです。
また、本なんて大学に入るまでろくに読んだこともく、学校から帰ると縁側にポンとカバンを放り投げ,野山で遊ぶのが日課になっていた。
したがって家ではカバンを開けたことが無かった。
テレビも無い信号も無い、あるのはラジオで父親の手作りのがあっただけ。
したがって毎日野山で栗やアケビを採ったり,畑で土器片や黒曜石の矢じりを探したり,
トンボやハチの子を捕ったりと,採集活動イコール遊びのようなものだった。
小学校二年生のとき,それまで住んでいた寛保年間に建てられた茅葺き屋根の家を建て替えた時に、
カンナくずの片づけやら壁土用の粘土踏みなんかをさせられながら,
間近で大工仕事を見ていたんですが,これが子ども心にも面白かったという記憶が、
現在の建築史家、建築家の土台だったのです。