遠藤正己さんは将棋界に66歳の新星の駒師として話題になった。
修業を始めて7年、208年11月の竜王戦第3局で遠藤さんの駒が採用されたのです。
遠藤正己さんの泥沼の経歴は妻の死や20回に及ぶ転職に母親の介護に消えた年金など、
波乱万丈の人生が66歳で駒師として遅咲きで、竜王戦第3局で羽生善治さん(当時、竜王)と広瀬章人さん(当時、八段)が用意された2組の駒を使用したのです。
羽生善治さんのコメント
羽生さんは遠藤さんの駒について記者に聞かれて『線がすっきりして見やすい』と話していたそうです。
遠藤さんの駒は、映画でも使われています。
羽生さんのライバルでありながら若くして亡くなった棋士・村山聖さんを描いた『聖(さとし)の青春』。
このときは将棋連盟や映画会社からは何も知らされていなかったのですが、
聖(演じたのは松山ケンイチさん)が先輩(安田顕さん)と対局するシーンで、
テレビCMに一瞬映った駒を見て「オレの駒に似てる」とピンときたそうです。
それで居ても立ってもいられず劇場に観に行ったところ、王将の駒尻に遠藤さんの雅号「寉峯(かくほう)」の文字が確認できたそうです。
雅号(がごう)とは?
雅号(がごう)とは文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のことである。
画像:http://www.uty.co.jp/imajin/?no=1881
遠藤正己さんの経歴
1952年東京生まれ、山梨育ち。
父親は地方公務員です。
高校卒業後、パブでアルバイトをしているうちに飲食業に興味を持つ。
・芸能プロダクションの社長と知り合って、ギターの弾き語りに転身。
・各地のナイトクラブを回っていると時に秋田のお店でお客の女性に一目惚れし結婚して2人の子供が生まれた。
・29歳のときに奥さんが3人目の子供を身ごもったのを機に弾き語りの仕事を辞め山梨に戻る。
・自動車販売店の営業の仕事を2年間。
・31歳で会社を辞め居酒屋をオープンし繁盛店となる。
・44歳のときに妻を交通事故でなくしてしまう。
・居酒屋が赤字に転落して閉店。
・その後はスーパーの総菜係、ゴルフ場のレストラン勤務、テイクアウトの寿司店の支配人など仕事を転々するがどれも長続きしない。
・60歳が近づいてきた頃、母親の介護が始まる。
・消えた年金問題が発覚。
・母親の介護もあり家を空けることが出来ず、
将棋サロンでした。
・ネットオークションで少しずつ将棋盤を買い集め、駒もいいものを探すようになる。
・「富士駒の会」の」展示即売会で声を掛けられ「どれかいい駒はありましたか?」と?
どれも素晴らしくて甲乙つけがたいですねと答えると、男性が「気に入ったのがなければ、自分で作ってみればいいじゃないですか。
私がちゃんと教えますよ。
そう言ったのは、富士駒の会でメンバーを指導している駒師の大澤建夫さんでした。
大澤さんは「富月(ふげつ)」という雅号で駒を作っている駒師で、タイトル戦に何度も駒が使われている方です。
この出会いがきっかけで、遠藤さんは59歳で駒作りの修業を始めたのです。
将棋駒は大きく分けて4種類!
①いちばん安価なのはベースとなる木地(きじ)に直接字を書く「書き駒」。
②文字を彫刻刀で彫って漆で色を塗る「彫り駒」これは中級品。
③『彫り埋め駒』で字を彫った溝に漆(うるし)を埋めて平らにしたものでこれは高級品。
④最高級は、彫り埋め駒の上にさらに漆を盛って文字を浮き上がらせる「盛り上げ駒」。
これを作るには高度な技術が必要だそうです。
※駒師はみんな盛り上げ駒をやりたいけれど、挑戦して挫折する人がとても多い。
遠藤さんは盛り上げ駒だけを作っている大変珍しい駒師で、作業するのは、母親の介護が終わったあと夜8時から深夜2時頃まで。
ひと組(20個×2人分=40個)作り上げるのに2ヵ月かかるそうです。
遠藤正己さんの将棋の駒の値段が気になる?
寉峯作菱湖島黄楊銀目盛上将棋駒
価格: 250,000円
だそうです。