異才のピアニスト反田 恭平(そりた・きょうへい)さん、
日本で『最もチケットが取れないピアニスト』が、2021年10月21日
「反田恭平2位入賞」のニュースが日本中を駆け巡った。
ショパンの故郷であるポーランドの首都・ワルシャワで開催される『ショパン国際ピアノコンクール』。
世界最難関の一つに数えられるその国際大会の入賞者には、アルゲリッチやブーニン、内田光子など名だたる音楽家が名を連ねる。
開催は5年に一度で参加資格は、16歳以上30歳以下なので、27歳の反田恭平さんに、とっては最後のチャンスであった。
おめでとうございます。
天才ピアニストとよばれているが、父はサラリーマン、母は主婦という音楽とは無関係の家庭に育っております。
天才ピアニストたちは両親が音楽家で3歳から習っていたのが良くあるパターンですが、
反田恭平さんは本格レッスンを始めたのは12歳だそうです。
本格的にピアノを始めたのは12歳の時に桐朋学園大学音楽学附属学校の子供のための音楽教室『仙川教室』に入室したんです。
そんな反田恭平さんの経歴や高校、大学、家族、結婚など調べて見ました。
反田恭平(そりた・きょうへい)さんの経歴
職業:ピアニスト
誕生日:1994年9月1日 生まれ
出身地:北海道札幌市→東京育ち
出身高校:高校は桐朋学園大学音楽部門からの奨学金で「桐朋女子高等学校音楽科」
※紛らわしい名前の学校ですが、共学の学校です。
出身大学:桐朋学園大学 音楽学部
※キャンパス特待生として桐朋学園大学音楽学部に入学。
結婚:ピアニストの小林愛実
略歴
幼少時代はヤマハ音楽教室、一音会に入る。
2008年に第18回日本クラシック音楽コンクール 最高位。
2009年に第2回エレーナ・リヒテル国際ピアノコンクール 第1位。
第63回全日本学生音楽コンクール中学校の部 第2位。
2010年に 第11回ショパン国際ピアノコンクールin Asia 中学生部門 ファイナルにて銀。
2010年に桐朋学園大学音楽部門より奨学金を授与され桐朋女子高等学校音楽科に入学し、同年に開催された 学内ピアノ・コンチェルト・オーディションで第1位。
2012年 に 高校在学中、第81回日本音楽コンクール第1位。
併せて、野村賞、井口賞、河合賞、岩谷賞(聴衆賞)を受賞。
2015年5月に第25回チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクール古典派部門 優勝。
2016年1月にサントリーホールにて行われたデビューリサイタルでは2000席完売。
2017年 にショパン国立音楽大学に入学。
2018年にMLMダブル・カルテット(弦8名)を創設。
2019年に MLMナショナル管弦楽団(弦9名+管7名の計16名)を創設。
2020年のコロナ禍ではいち早く有料のストリーミング配信を行うなど、クラシック音楽の普及にも力を入れている。
2020年1月にパリ、10月にはウィーン楽友協会でデビューを果たし現地の観客から称賛される。
また、若手の音楽家とファンの皆さんを繋ぐコミュニケーションの場となるような音楽サロン「Solistiade」も運営している。
反田恭平さんの両親は?
父親はサラリーマン
母親は専業主婦
の家庭で育っておりますが、母親が音楽好きなで弾いたエレクトーンを聴き、瞬時に弾いたそうですから音楽の天才なのです。
聞いた音符がそのまま頭に入っている、どんな構造をしているのでしょうか?
自分の実力で奨学金をもらい高校にも入っておりますから、
サラリーマンの親としては学費が掛からなく助かったでしょう。
反田恭平さんが天才の秘密とは?
●卓越したテクニックと若手には珍しいほど成熟した音楽的センスがある。
●魅惑的かつ悪魔的なタッチで聴かせる。
●狂気と至芸、恐れを知らない大胆さと自在さ。
●演奏を聴いた女性ファンの失神者は続出。
●反田恭平さんは楽曲は演奏者によって色彩を変える。
反田恭平さんの結婚した嫁は小林愛実さん?
反田恭平さんと小林愛実さんが2023年1月1日、それぞれのツイッターを更新し、結婚したことを報告した。
「そして新しい命を授かりました事をご報告いたします」とつづった。
2人は幼なじみで、2021年秋にショパン国際ピアノ・コンクールに共に参加し、反田さんは2位、小林さんは4位に入賞した。
『ショパン国際ピアノコンクール』への努力は?
反田恭平さんは3次予選で思う通りに演奏できず落ち込んだ、
そんな反田恭平さんの元に、親友のピアニスト・務川慧悟さんがかけつけて、練習に付き合ってくれた。
又、反田恭平さんは体格改造や歴代の入賞者のデータ分析、さらにショパンの書いた手紙や研究書を読み漁り、
2018年からはポーランド人からショパンを学びたいと、ワルシャワへ留学し、日本と行き来をしながらショパンの音楽に向き合っていたのです。
反田恭平さんの言葉から、ショパンコンクール期間中は、「人生で一番練習した」そうです。