13代 中川政七会長の経歴や大学に本名は? 14代 社長の千石あやに交代は何故?

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中川政七 企業の社長
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いま旋風を巻き起こしているのが生活雑貨のセレクトショップ「中川政七商店」。

1716年(享保元年)奈良晒黄金期に初代中屋喜兵衛が奈良晒の商いを始めたのが、中川政七商店の始まりです。

300年超の老舗で現在は、

中川政七(なかがわ・まさしち)13代目
株式会社中川政七商店 代表取締役会長なります。

本名は中川 淳(なかがわ じゅん)氏です。

14代社長は千石あや氏になりました。

老舗でも日本の工芸がいま窮地に立たされている。

売り上げは1983年をピークに現在は
5分の1にまで落ち込む。

さらに、高い技術を持つ職人たちの高齢化と後継者不足は深刻な社会問題となっている。

そこで中川政七社長は日本独自の伝統的な技法を生かした便利で高品質な商品を作り、

信頼を集め、また日本各地に眠る質の高い工芸技術を発掘し、各地域を代表する人気ブランドに生まれ変わらせております。

そんな中川政七会長が2018年に社長交代し代表取締役社長 千石あや氏に交代されました。

代々中川家が継いできたのが、初めての同族外の社長となります。

そんな中川政七会長の経歴や大学に本名は?
14代 社長の千石あやに交代は何故?など調べて見ました。

 

中川政七

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中川政七(なかがわ・まさしち)会長の経歴

役職:株式会社中川政七商店13代 代表取締役 会長

本名:中川 淳(なかがわ・じゅん)

誕生日:1974年生まれ

出身地:奈良県

出身大学:京都大学法学部

職歴

2000年に富士通入社。

2002年に株式会社中川政七商店に入社。

2008年に代表取締役社長に就任。

2018年に代表取締役会長に就任。

製造から小売まで、業界初のSPAモデルを構築。

 

14代 社長の千石あや氏に交代は何故?

「中川政七」襲名披露の壇上で、13代は
「今後10年、地元・奈良に力を注いでいくこと」を宣言していた。

いい会社とは何か?

「いい会社は、100年もつ会社です。100年もつために何が必要か。それはいいビジョンといい企業文化だと思います」

ビジョンとは向かうべき遠くの目標、そこに向けてどうやって歩んでくのかが、企業文化だろうと13代は語ります。

「日本の工芸を元気にする!」というビジョン達成のためにあるべき、企業の姿、社員の姿。

描く理想はあり、社内に発破はかけながらも、商品開発やブランド収支など現場の運営から離れていたここ数年は、手詰まりを感じていたといいます。

名前を呼ばれたのは、7年前、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職してきた、ひとりの女性。

トップダウンから最強のチームワークへ。

「14代社長は、千石あやさんです」

14代は3つのキーワードを挙げます。

ものとして丁寧であること。

使い手にとって気が利いていること。

作り手が誇りを持てること。

「特に3つめはうちらしい考え方です。

中川政七商店14代 千石あや(せんごく・あや)代表取締役社長の経歴

役職:株式会社中川政七商店14代 代表取締役 社長

誕生日:1976年生まれ

出身地:香川県

出身大学:大阪芸術大学を卒業

職歴

大阪の大手印刷会社でデザイナー、制作ディレクターとして勤務。

2011年より中川政七商店に入社。

社長秘書、「遊 中川」ブランドマネージャーなどを歴任。

2018年3月に株式会社中川政七商店14代 代表取締役 社長に就任。

 

千石あや社長の父親はもともと香川県で医者をやっていたそうです。

でもあるとき思い立って、北海道の無医村に行くぞと言い、

その数か月後には本当に引っ越していたのです。

だから今の実家は網走なんだと千石あや社長は言っております。

その父親のスタンスに、なんかかっこいいな、素晴らしいなと思って。

そんな父親の娘なんだから、間違いないだろうと千石社長は父親採用だったそうです。

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