加藤巍山(かとう・ぎざん)仏師で彫刻家の経歴に結婚は?令和の仏師の彫刻は拝みたくなるのか?

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加藤巍山 雑学
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加藤 巍山(かとう・ぎざん)さんは現代の仏師で彫刻家です。

彫刻家はわかりますが「仏師(ぶっし)」は聞いたことが無い方が多いのではないでしょうか。

「仏像制作に従事する工人のこと」

日本で初めて仏師の呼称の初出は、623年(推古天皇31)制作の法隆寺金堂釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)の光背銘で、

「司馬鞍作首(しばくらつくりのおびと)止利仏師(とりぶっし)」とある。

 

力強く動きのある肉体表現を得意とする仏像彫刻師、
加藤 巍山の名前が知られるようになったのは、

圧倒的な存在感と表現力で、作品はNYのオークションで約3,285万円で落札。

6年先まで予定が埋まっているのです。

2017年から東京をはじめ各都市の美術館を巡回、驚異の超絶技巧、

宗教や時代を超えた普遍的な祈りをテーマにし、ひたむきに彫刻を彫り続ける加藤巍山さんの彫像の世界を、

日本内外のアートファンに広くご提案をしたいと考えています。

そんな加藤巍山さんの仏師で彫刻家の経歴に結婚は?令和の仏師の彫刻は拝みたくなるのか?など調べて見ました。

 

加藤巍山

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加藤巍山(かとう・ぎざん)さんの経歴

職業:仏師・彫刻家

本名:未公開

誕生日:1968年生まれ

出身地:東京都墨田区本所両国

結婚:妻

自宅兼工房:埼玉県白岡市

好きな食べ物:うなぎと蕎麦

 

加藤巍山さんは東京・墨田区両国で生まれたので、小さいときから、お寺や神社が好きな子どもだったそうだ。

そこそこやんちゃな学生時代を経て、加藤巍山さんは25歳の時に仏像彫刻の世界に入ったのです。

高村光雲の流れを汲む仏師・岩松拾文さんさんのもとで
13年間の修行を経て38歳で独立する。

※高村 光雲(たかむら・こううん)仏師、彫刻家。

高村光雲(1852~1934年) 明治から昭和にかけて活躍した仏師、彫刻家。息子に詩人・彫刻家の高村光太郎がいる。

儀軌(ぎき)に準拠した仏像を制作する一方で、日本の古典や歴史、仏教や神話を題材とした作品を制作する。

一方彫刻家としても活躍し、ニューヨーク・クリスティーズのオークションで彫刻作品が約3,285万円で落札。

美術界からも大きな注目を浴びている。現在、埼玉県白岡市の自宅兼工房で日々創作に励んでいる。

経歴

・2008年~ タカシマヤ(日本橋、横浜、大阪、京都、JR名古屋)、三越(日本橋本店)にて展覧会。

・2016年  「白隠展」(東北歴史博物館)。

・2017年~ 「驚異の超絶技巧!展」三井記念美術館(東京)、岐阜県現代陶芸美術館(岐阜)、山口県立美術館(山口)、富山県水墨美術館(富山)、あべのハルカス美術館(大阪)。

・2019年 「示現/加藤 巍山」個展(日本橋タカシマヤXギャラリー)。

・2020年クリスティーズ NY(日本・韓国美術)に「示現・Ⅰ」を出品。

・2021年クリスティーズ NY(日本・韓国美術)に「慈」を出品。

チャリティ活動他

・2011年~ 〈縁〉仏像奉納プロジェクト(仏師・三浦耀山氏とともに東北の被災地へ祈りと鎮魂の仏像を奉納する活動)。

・2019年台風19号チャリティー展(新宿タカシマヤ)。

・2020年〈瑞光〉-新しい時代の兆し-チャリティプロジェクト(銀座蔦屋書店)。

 

加藤巍山 仏師の彫刻は?なぜ拝みたくなるのか?

「勇気をもらえる。」

「毎日拝みたい。」

その仏像を見た人々は皆口を揃え、無意識に手を合わせてしまう。

人が彫ることの意味、科学が発展し3DプリンターやAIが普及しても、自らの手で彫る1つ1つの地道な作業、

その数値化されない魂のようなものが作品に込められると語る。

加藤巍山さんの作品は?

●雄略天皇像

●釈迦如来坐像(二尺)

●慈

●示現・I

●示現・序

●誰が為

●しかみ(徳川家康像/1543年~1616年)

●恋塚(こいづか)~遠藤盛遠(えんどう もりとお/1139年 ~1203年)

●投華得仏(とうけとくぶつ)

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