岡嶋 かな多(おかじま・かなた)さんは作詞・作曲家で、多数の有名アーティストに楽曲提供をしています。
これまで提供した楽曲が100回超のオリコン1位
を獲得している天才です。
当初は岡嶋 かな多さんはステージで歌うシンガーソングライターだったのです。
提供曲が多すぎますが、三浦大知・Sexy Zone・SnowMan・ジャニーズWEST・King & Prince・嵐・安室奈美恵・三浦春馬・TWICE・西野カナ・EXILE・和田アキ子 他 500曲以上になります。
2012年に作詞・作曲を手がけた、BTSの「Crystal Snow」が収録された「BTS, THE BEST」の売り上げが100万枚を突破し、ミリオンセラーとなる。
そんな岡嶋 かな多さんの経歴や夫に子供は?年収やシンガーソングライターからの転身は?転身した意外なきっかけとは?など調べて見ました。
岡嶋 かな多(おかじま・かなた)さんの経歴
ニックネーム:Kanata Okajima
職業:作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、ボーカルプロデューサー
誕生日:1984年7月7日生まれ
出身地:青森県→幼少期をアメリカで過ごす
出身高校・大学:高校や大学に通っていない
学歴:ビクター音楽カレッジ卒業
星座:かに座
血液型:O型
結婚:夫・澤田知之さんと、息子の琉生くんの3人家族
事務所:フリー
岡嶋 かな多さんは青森県出身で3歳~8歳幼少期をアメリカで過ごしていた帰国子女です。
アメリカで育った経験を活かした、英訳、英詞、ラップ、ボーカルディレクションも行っている。
中学の卒業近くから、将来は音楽で食べていこうと決心して高校は行っておらず、
ビクター音楽カレッジに入学し音楽の勉強をされました。
ビクター音楽カレッジはこちら
ビクター音楽カレッジは、趣味で音楽を勉強したい初心者の方から、プロを目指す本格指向の方まで、幅広い目的を持った生徒が通っています。
2000年に本格的に音楽活動を開始。
日中友好大使として中国・桂林でライブを行う。
2004年に作詞家としてデビュー。
2008年にSMAPの楽曲でバックコーラスや英語ディレクションを担当。
2011年にレディーガガのパンクカバーアルバム「A GAG PANK」で全曲ボーカルを担当。
2013年にスウェーデンの事務所と契約し、海外での活動も開始しています。
2014年に作曲を手がけた「LOVE&PEACE」が日本ゴールドディスク大賞ベスト5を受賞。
2018年に安室奈美恵「Fainlly」ボーカルディレクションを担当。
2020年に月9ドラマ「絶対零度」の主題歌を家入レオと共作。
2021年に作詞作曲を手がけた楽曲を含む、BTSのアルバム「BTS THE BEST」がミリオンセラー。
岡嶋かな多さんの夫や子供は?
岡嶋かな多さんは、夫・澤田知之さんと、息子の琉生(Loui/ルイ)くんの3人家族です。
【名前に込めた想い】
世界中の人たちが、親しみを持って呼びやすいように。
そして、宝石のように、自分らしく輝いて生きてほしい。
そんな願いを込めました。
夫の澤田知之さんは、PRプランナーとして活動されている方です、
家事の役割分担はなく、お互い協力して行っている。
琉生くんが生まれてからは、子育てを通してより一層夫婦の絆が深まった。
仕事のスケジュールも共有して、重なる時はどちらかが予定変更している、
又、「ありがとう」や「ごめんね」を、気持ちよく伝えあうことが、夫婦の習慣になっているのだそうです。
夫・澤田 知之さんの経歴
出身地:高知県 高知市
現住所:東京都 渋谷区在住
出身高校:高知県立岡豊高校
出身専門学校: 龍馬看護ふくし専門学校
医療相談員からキャリアをスタート。
26歳の時、PRの魅力に出逢い、猛烈な転職活動の末、PR業界へ。
その後、株式会社カーツメディアワークスで執行役員兼PR事業部部長を務める。
妻の出産を機に、家族との時間を大切にすべく、フリーランスへ転身。
個人ミッションは「PRの民主化」。
天才の妻と、平凡な夫に家族が増えた!!どうする夫。
澤田 知之さんのブログはこちら

岡嶋かな多さんがシンガーソングライターからの転身は?
PRESIDENTさんに特集して頂きました‼️
「読む情熱大陸」と話題の @iokawauchi さんにインタビュー頂き、不器用な半生、包み隠さず、お話させて頂きました。誰かの背中を押せたら嬉しいな🙏
是非皆様!読んで、そして拡散して頂けたら嬉しいです!どうぞ宜しくお願いします✨https://t.co/r7t1DsCtzN
— 岡嶋かな多 / 作詞作曲家 / Music Producer (@KanataOkajima) July 27, 2021
岡嶋かな多さんは16歳から音楽一筋に生きてきたバンドのボーカルとして、全国を巡り、世界を夢見たこともあったのです。
練習とライブとアルバイトに明け暮れるが、バンドを続けるのは、お金がかかる。
練習するにはスタジオを借りなければいけないし、ライブは集客のノルマがあって、チケットを買い取り、売りさばく必要がある。
ノルマに達しなければ、もちろん自腹で、いくらアルバイトをしても、お金が足りない毎日で貧乏生活を送っていた。
中華料理屋のダクトの前にさりげなく立ち、そこから吐き出される中華の匂いをおかずにして、お握りを頬張ったこともあったそうです。
しかしバンドも人気がでなく3年で解散し、20歳でNHK前の激戦区で路上ライブに挑みながら、
ツタヤで18歳の頃から6年間、アルバイトをしていたので、スタッフ割引でCDを借りられるという特典をフル活用し、
邦楽、洋楽問わず片っ端からCDを借りて聴いた枚数は1000以上だった。
歌詞とメロディーが、やがて岡嶋かな多さんの肥しとなった。
音楽学校時代に出会った作曲家を通して「仮歌(かりうた)」の仕事をする。
「仮歌」とは
作曲家が自分の曲をプレゼンする時、音だけだと伝わりにくいため、メロディー部分をシンガーが歌う。
まだ正式な歌詞がついていない曲なので、仮の歌には仮の詞をつける。
この仕事は交通費別で1曲2000円。
時給に換算すれば数百円レベルだが、岡嶋かな多さんは依頼があればふたつ返事で引き受けた。
そこで、仮歌を聴いた音楽事務所が、「この子いいね」と別の仮歌の仕事やバックボーカルの仕事をまわしてくれるようになった。
また、「この仮詞がいい」と、歌詞として正式に採用されることもあったり、その後は仕事の単価が5000円に上がり、やがて1万円になったのです。
アーティストを抱えるレコード会社から依頼が来るが、作詞家、作曲家それぞれひとりに依頼をしたら指名の仕事になるが、
レコード会社が複数に声をかけた時はコンペになるのです。
レコード会社からは「〇〇〇CMのタイアップ曲を」など具体的な物やおおざっぱな物など様々なのです。
コンペは「全敗すれば収入ゼロ」です、オリンピックのデザインなども同じです。
正式に採用されてから音楽出版社と印税契約を結ぶ、販売価格の1.5%程度が作詞家と作詞家の収入になる。
1000円のCDなら1枚売れたら15円なので、岡嶋かな多さんは作詞・作曲なので30円ななり、
これに二次使用料も加わわります。
最近の楽曲は配信もされるので、ストリーミング再生数、ダウンロード数なども加算されます。
作詞コンペでは採用されることが増えて、作詞家として一躍脚光を浴びるきっかけになったのも、安室奈美恵さんだった。
著名な音楽プロデューサー「ジェフ・ミヤハラ」さんと組んで書いた歌詞が採用され、
『Steal My Night』として2009年にリリースされると、驚くほどに仕事の依頼が増えた。
転機は2012年3月に音楽作家事務所の社長に声をかけられて8日間スウェーデンに行った。
現地のトップクラスの作曲家と組んで毎日ゼロから1曲作り、歌詞を乗せてレコーディングまでするという「コライト」(Co-Write)に臨んだ。
コライトとは!
共同で曲作りを行うことを言います。
コライトは、一般的に3人程度のチームを作り、互いに意見を出し合ったり、得意分野ごとに分業したりして、曲作りを行っていきます。
顔を合わせて一緒に作業することもあれば、インターネットを使って離れた場所のまま作業を進めることもあります。
何回か海外に行っておりますが、父親の体調が悪化したのを機に帰国、以来、次々と話題作の作詞や作曲を手掛け、今や音楽業界で知らぬ人のいない存在になったのです。