迫本 淳一(さこもと・じゅんいち) 松竹株式会社 代表取締役社長 です。
松竹株式会社は歌舞伎、新派や新喜劇などの伝統芸能をはじめとした演劇、映画なども手掛ける。
2015年には漫画「ワンピース」を題材にしたスーパー歌舞伎を公演で、歌舞伎の新しい側面を開いて子どものお客様が増えた。
また歌舞伎が、いま変貌を遂げている、歌舞伎役者がバーチャルアイドルと共演し、ライブ配信されて若者たちが熱狂している。
創業から120年を超える老舗は攻めに攻めまくっている。
そんな迫本 淳一社長の経歴や大学に家族は?異色の弁護士資格を有する上場企業の社長?など調べて見ました。
迫本 淳一(さこもと・じゅんいち)社長の経歴
役職:弁護士・松竹株式会社代表取締役社長
誕生日:1953年4月2日生まれ
出身地:東京都文京区
出身高校:慶應義塾高等学校、
出身大学:慶應義塾大学経済学部・慶應義塾大学法学部法律学科
カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクール修了
祖父:松竹元会長の城戸四郎氏
曾祖父:富士製紙元社長の大川平三郎氏
家族:妻・子供3人
職歴
1978年 4月に松竹映画劇場株式会社入社
1990年 10月に司法試験合格
1993年 4月 に司法修習修了、弁護士登録(第二東京弁護士会・45期)、三井安田法律事務所入所
1997年 5月にカリフォルニア大学ロサンゼル
ス校ロースクール修了
1997年 9月にハーバード大学ロースクール客員研究員
1998年 4月 に松竹株式会社顧問就任
1998年 5月に松竹株式会社 代表取締役副社長就任
2004年 5月に松竹株式会社 代表取締役社長就任
迫本 淳一社長は慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部では水泳が得意で、小学6年時には慶應幼稚舎の新記録をだしている。
中学2年時は神奈川県の学年新記録を樹立し、3年時には関東大会で優勝した。
慶應義塾高等学校ではハンドボール部のキャプテンとしてチームをインターハイ出場はたしている。
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後に、松竹映画劇場株式会社で働きながら司法試験に挑戦し続け、37歳で合格、
三井安田法律事務所入所されて、1997年 5月にカリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクール修了し、
1997年 9月にハーバード大学ロースクール客員研究員をされている。
帰国後に松竹株式会社顧問就任されて、2004年
5月に松竹株式会社 代表取締役社長就任 現在。
迫本 淳一社長の家族は?
結婚は27歳の時で妻と脳性麻痺の長男をはじめ3人おりますが、
27歳のとき「やっぱり弁護士になりたい」と一念発起し働きながら試験勉強を始めた時の結婚でしたから、
大変な時に結婚されたのです、奥さんの協力で頑張っていたが、
37歳で司法試験に合格したので10年かかったことになり大変な10年間だったそうです。
社長いわくこの間が人生で一番苦労しそうです。
異色の弁護士資格を有する上場企業の社長?
迫本 淳一社長の母方の祖父が松竹にいたこともあって、歌舞伎座の顧問弁護士として当時の永山武臣会長にさそわれたのがきっかけとなる。
しかし当時の松竹は、財務上倒産の危機になっており不良資産の処理など、1年半で800億円を処理した。
基本的にやることは3つ
①不良資産の償却
②有利子負債の削減
③儲けること
映画部門の強化、不動産開発、歌舞伎の異業種とのコラボ等で業績をあげ2004年5月に代表取締役社長 就任になったのです。
「代官山メタバーススタジオ」を開設!
住所:東京都渋谷区代官山町14番23号
「代官山メタバーススタジオ」では、グリーンバックや大型LEDディスプレイを用いて、
リアルタイムに人物とバーチャルセットを合成し撮影することができます。
本スタジオのキーワードは「共創」です。
個人・法人問わず多様なクリエイターと共創し、コンテンツ開発・技術検証を行うことで、未来のエンターテインメントに向けた取り組みを加速して参ります。
本スタジオは、エンターテインメント×テクノロジーをテーマに設立したミエクル株式会社※を運営主体とし、
松竹グループが手掛ける映画・演劇事業におけるバーチャルプロダクションの活用ニーズを追究いたします。