間渕則文 救急医で経歴や年齢に大学と祖父&父親は?中津川市民病院 病院前救急診療科の場所は?

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間渕則文(まぶち・のりふみ)先生 医師・先生
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間渕則文(まぶち・のりふみ)先生は、日本初の乗用車型ドクターカーを導入した医師で、

中津川市民病院 病院前救急診療科は24時間365日患者のもとへ駆けつける、

ドクターカーは消防本部からの要請で、医師や看護師が自らハンドルを握って救急現場に急行し、病院まで
搬送するまで必要な診療行為を行うのです。

人工呼吸器や心臓マッサージ機などの資機材に加え、およそ30種類の薬剤が積み込まれた、まさに「動く救急外来」なのです。

「真夜中でも嵐の中でも、医者が現場に駆けつけるのは最低限」で、昼夜を問わず24時間体制で救急無線に備える毎日なのです。

間渕則文先生は1秒でも出動が遅れてはいけないと、風呂に入るのは週に1度だそうで、トイレの扉はいつも開けっ放しだそうです。

こうした活動によって、中津川市では心肺停止の救命率が3%から19%に向上したそうで、全国平均を上回っているのです。

そんな間渕則文先生の経歴や年齢に大学と祖父&父親は?中津川市民病院 病院前救急診療科の場所は?など調べてみました。

 

間渕則文(まぶち・のりふみ)先生

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間渕則文(まぶち・のりふみ)先生の経歴

職業:中津川市民病院 病院前救急診療科 部長

誕生日:1958年7月生まれ

出身地:愛知県

出身大学:名古屋市立大学医学部

父親:薬剤師

祖父:医師(開業医)

職歴

1983年4月に名古屋市立大学医学部 麻酔医・ICU勤務。

名古屋第二赤十字病院集中治療部。

カナダ・トロント総合病院麻酔科。

1999年3月国際協力事業団医療協力部派遣前業務委嘱員。

1999年4月にエジプト・アラブ共和国カイロ大学小児病院小児救急医療プロジェクト・チーフアドバイザー。

2002年4月に岐阜県立多治見病院麻酔科主任医長
救命救急センター主任医長に就任。

2002年7月に麻酔科部長、

8月救命救急センター長。

2007年4月に臨床研修センター長を兼務。

現在は中津川市民病院 病院前救急診療科 部長。

 

間渕 則文 先生は父親が薬剤師で祖父が医師(開業医)だった祖父に憧れ、名古屋市立大学医学部を卒業後、同大学病院の麻酔科とICUに勤務。

間渕 則文 先生が救急医療を志した30代のとき、救命センターへ搬送中の男の子が亡くなる姿を目の当たりにし、

「医者が病院で待っているだけでは駄目だ」と思うようになる。

1999年にエジプト・アラブ共和国カイロ大学小児病院小児救急医療プロジェクトのチーフアドバイザーとして現地に赴任。

研究の一環でヨーロッパを視察時に、ドイツで乗用車型のドクターカーに出会ったのです。

間渕 則文 先生は現場に駆けつけ現場から診療を開始するという自分が求めてきたモデルがそこにあったのでした。

そして2008年に岐阜県立多治見病院で日本初の乗用車型ドクターカーの運用を開始されたのです。

2013年には中津川市民病院に赴任し、ドクターカーに特化した病院前救急診療科を開設。

間渕 則文 先生は、これまでの出動は3000件を超えているそうで、中津川市ではドクターカーは街の顔として市民に知れ渡っているのです。

 

間渕 則文 先生の父親と祖父は?

父親が薬剤師で祖父が医師(開業医)の家庭で育っており、祖父の存在が大きかったのです。

祖父は70歳を超えてから、今まで開業医を叔父さんにまかせて、

静岡県の無医村に入って診療所を始めたそうで、それを見ていた間渕 則文 先生も同じように好きなことをしたいって。で、たどり着いたのがここ中津川市だったのです。

あえて祖父と同じく忙しい仕事場を選んで行動されているのですから、中津川市民は有り難いことです。

 

中津川市民病院 病院前救急診療科の場所は?

HP:https://nakatsugawa-hp.jp/

住所: 岐阜県中津川市駒場1522-1

電話番号:0573-66-1251

FAX:0573-65-6445

診療受付時間:

午前8:15 ~ 午前11:30

休診:土曜、日曜、祝日、年末年始

アクセス

電車の方は

JR中央線中津川駅下車、バス或いはタクシーなどで市民病院へ11分

車の方は

中央自動車道路でお越しの方は中津川インターチェンジを降り中津川方面へ。国道257号追分交差点を左折して市民病院へ下呂方面からお越しの方は国道257号より城山大橋を通り追分交差点を右折して市民病院へ

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