小嶋 道弘(こじま・みちひろ)はコジマ技研工業株式会社 代表取締役社長です。
串刺で世界一、世界の人手不足を救う日本製「焼き鳥串刺し機」です。
神奈川県相模原に「コジマ技研」という小さな町工場で、従業員はたったの13人。
自動串刺し機は焼き鳥・串揚げ・おでんなど、ありとあらゆるものを串刺しにする、機械なのに職人技を再現するのです。
創業日は1981年5月で小嶋 道弘社長の父親小嶋
小嶋 實(みのる)氏が製品化に没頭し完成させたのです、
訃報
2020年11月15日コジマ技研工業の会長、小嶋實氏が亡くなられた(87歳であった)。
ご冥福をお祈りいたします。
そんな小嶋 道弘社長のコジマ技研工業の串刺は世界一?経歴や年齢に刺で世界一になった理由は?など調べて見ました。
小嶋 道弘(こじま・みちひろ)社長の経歴
役職:コジマ技研工業株式会社 代表取締役社長
誕生:1966年(予想)生まれ
出身地;神奈川県
出身校:非公開
家族:非公開
会社HP:http://www.kojimagiken.co.jp/
コジマ技研工業株式会社の歴史は?
1977年(昭和52年)
MA102(卓上型)
1号機。当時、社長がコジマ技研を創立前に焼鳥屋さんから依頼されたのが切っ掛けで開発した機種。当時、巷ではマトモに刺せない串刺機が多かったが、さまざまなユーザーから好評を得て拡販した機種。
1981年(昭和56年)
MA200(卓上型パレット式)
MA102の発展型として食材を置くトレーを5串単位のパレットに変更し量産を図った。
1983年(昭和58年)
MA300(卓上型パレット式)
MA200の発展型。5串単位のパレットを10本に変更し、更なる量産を可能にした。
1984年(昭和59 年)
MX3000(卓上型コンベア式)
コンベアを利用した初の機種。パレット式からコンベア式に変更して使いやすさと量産を実現した。
1985年(昭和60年)
MX-3(大量生産型コンベア式)
卓上型で信頼を得たユーザーからの強い要望によって生まれた大量生産型の大型機。時間当たり2,500本を実現した。
MX-6(大量生産型コンベア式)
串刺し機構を2機並列させる事で時間当たり5,000本の串刺しを行えた。
1990年(平成 2年)
MYシリーズ(大量生産型コンベア式)
1990年にシリーズ1号機を発売。
以来、改良を重ね後に鉄砲串を使用できるタイプも発表。
1996年(平成 7 年)
MWAシリーズ(大量生産型コンベア式高速空圧駆動)
現行機
新設計の高速空圧駆動方式を採用しユーザーからの更なる大量生産の要望に応えたシリーズ。
2008年(平成20年)
MUVシリーズ (大量生産型 新設計連続式コンベア)
現行機
新たに連続式コンベアを採用し低騒音低振動少電力となったモデル。
2009年(平成21年)
ちびスケシリーズ(卓上型)現行モデル
ユーザーから要望の大きかった卓上型のMA102の復刻版。
コジマ技研工業の食品用串刺し機、国内外で圧倒的なシェアを獲得 #目視検査支援機 #目視検査 #Neoview https://t.co/MbY6hbyiiM pic.twitter.com/oa4iiSXSFq
— エイシア鈴木 (@asia_suzuki) February 28, 2018
コジマ技研工業株式会社が串刺しで世界一になった理由は?
焼き鳥自動串刺機を開発しコジマ技研工業を設立した、小嶋 實(みのる)氏が、
大学卒業後にベアリングメーカーを経て知人たちと半導体関連の製造会社を川崎市内に設立。
知人である社長が会社のお金を使い込み、連帯保証人として3千万円の借金を背負うこととなり1974年に倒産。
会社を整理、残務処理に追われていたが、仲間と一緒に行きつけの焼き鳥屋へ、
しかし店主から「ネタがなくなったから閉店にする」と言われ理由を聞くと、
焼き鳥は仕込み(串刺し作業)が大変なので、自動で串刺しができる機械でもつくったら、
「ツケ代は相殺してやる」と言われ、このことが「焼き鳥自動串刺機」開発のきっかけとなったのです。
その後に歴史の通りコジマ技研工業株式会社の串刺機が、海外からの注文も増えて世界30カ国以上に機械を納品するようにンったのでした。
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