三國 清三(みくに・きよみ)天才シェフ株式会社ソシエテミクニ代表取締役社長です。
2013年に仏ラブレー大学より名誉博士号を授与される。
2015年に日本人料理人で初めて仏レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章されました。
「オテル・ドゥ・ミクニ」を2022年12月に37年間で閉店されました。
三國 清三シェフは70歳を前に新たな挑戦をされるのです。
そんな三國 清三シェフの経歴や妻・久美子と娘・珠杏の経歴は? お店閉店し新たな挑戦?など調べて見ました。
三國 清三(みくに・きよみ)天才シェフの経歴
役職:株式会社ソシエテミクニ代表取締役社長
誕生日:1954年8月10日生まれ
出身地:北海道増毛町
専門学校:夜間の調理師学校
兄弟:7人兄弟の三男(兄2人、姉2人、弟2人、妹)
家族:妻・三國久美子 娘・三國珠杏(みくに・じゃん)
趣味:時間があればテレビ
酒:ワインが大好き(特にボルドー赤ワイン)
外食:家族と時間が許す限り食事を楽しみながらコミュニケーションをはかる
すしは「寿し金」、中華は「中国飯店」、イタリアンは「キャンティ本店」、天ぷらは「天一」
職歴
札幌・南16条の米店に住み込みで働く。
料理人を志し、札幌グランドホテル。
帝国ホテルへ就職。
1974年に駐スイス日本大使館料理長に就任。
大使館勤務のかたわら、フランス料理界で有名な「ジラルデ」のフレディ・ジラルデやトロワグロ兄弟、アラン・シャペルに師事。
1978年に大使館を退勤し、フレディ・ジラルデの元で修業。
1980年に三ツ星レストランの「トロワグロ」、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス」、「アラン・シャペル」にて修業。
1982年に帰国。
市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」でシェフとし勤務。
1985年に東京・四ッ谷にオテル・ドゥ・ミクニ開店オーナーシェフ。
2022年12月オテル・ドゥ・ミクニ閉店。
三國 清三シェフの実家は半農半漁で7人兄弟の三男(兄2人、姉2人、弟2人、妹)として生まれる。
中学校卒業後に札幌・南16条の米店に住み込みで働きながら、夜間の調理師学校に通い料理の勉強をされた。
16歳の時に、まかないで食べた「ハンバーグ」に感動し、「ハンバーグを作る料理人になろう」と決意されて修行の始まりとなる。
・日本フランス料理技術組合代表。
・称号(名誉学位)は美食学名誉博士(仏トゥール大学)。
・北海道食大使、北海道白老アイヌ食文化大使。
・フランス農事功労章オフィシェ章受章。
・一般社団法人全日本・食学会理事長代行。
・政府・各種社団法人の委員・理事等を務める。
妻・三國久美子(みくに・くみこ)社長の経歴
役職:合同会社Ten.co 代表・ヨーロッパ家庭料理研究家・ハーブコーディネーター
誕生:1961年生まれ
出身地:東京都
HP:https://tenco392.wixsite.com/madamemikuni/about-kumiko-mikuni
三國久美子社長の父親が医師で裕福な環境で育ち、幼少期からレストランで食事をされていた。
父親が食べることの大好きな家庭で育った私にとって誕生会や両親の結婚記念日など、特別な日はレストランで団欒を楽しむ、
ちょっと気取ったこの時間は、より一層気持ち晴れやかにするに相応しいご馳走の一部でした。
引用元:https://tenco392.wixsite.com/madamemikuni/about-kumiko-mikuni
三國清三シェフは、三國久美子社長に本物のレストランの接客を学ばせるべく、フランスへ留学させている。
しかし、上手くはいかなかったそうです。
三國久美子社長が日本へ帰国し、今度は京都の料亭で自分なりに接客を学び直し、吹っ切れたそうです。
三國清三シェフが営むレストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」での接客経験を活かし、自身の仕事につなげておられます。
娘・三國 珠杏(みくに・じゃん)さんの経歴
久美子社長は結婚七年目にして授かった珠杏(じゃん)さんの名前が珍しいです。
尊敬する「ジャン・トロワグロ」にあやかり命名したものだそうです。
誕生:1992年生まれ
出身地:東京都
出身高校:成城学園(成城幼稚園・成城学園初等学校・成城学園中学校高等学校)
出身大学:慶應義塾大学
出身大学院:慶應義塾大学大学院
留学:ウィーン大学への留学
結婚:2015年に結婚してウィーン在住
父親:三國清三(フレンチシェフ)
母親:三國久美子(料理研究家)
残念ながらこれ以上の情報はありませんでした。
三國清三シェフお店閉店し新たな挑戦?
2024年秋に70歳を目途に「オテル・ドゥ・ミクニ」跡地にカウンター8席のみ、
一人で切り盛りするレストランを開く事に準備をされている。
長年温め続けてきたもので、「現世では無理だから来世で」と思ってきたが念願の夢が進んでおり、
来世なんてあるかどうかもわからないんだから、やりたいことがあるなら、今挑戦する事にした。
三國清三シェフは、それに向け体重を落として身体をつくり直ししており、
また、フランス語を一から学ぶために語学学校に通っているという。
三國清三シェフは「燃え尽きたと思えるその日まで、料理人であり続けたいそうで、
少なくとも80歳まで鍋を振るい続けるそうです。