横浜シウマイ弁当の崎陽軒 野並直文 社長が
カンブリア宮殿に登場
最強商品を生んだ 究極のローカル戦略!
列車のスピード化に伴って、
駅弁事業者が苦境に追い込まれている
そんな厳しい状況にも関わらず、
1日で3万2000食を売りまくる駅弁
創業107年横浜駅・崎陽軒です。
地元の横浜では、家庭での食事としても利用
されているという。
地元住民にあいされているのか、美味しいだけで無いでしょう。
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カンブリア宮殿では知られざる最強弁当の
秘密に迫るそうです
野並直文(のなみ なおぶみ)社長プロフィール
(株)崎陽軒 取締役社長
昭和24年神奈川県生まれ。
昭和46年、慶應義塾大学商学部卒。
(同大大学院経営管理研究科修了)。
47年、株式会社崎陽軒入社。
54年、取締役就任。
平成3年、取締役社長に就任。
横浜商工会議所副会頭。
財団法人横浜青少年育成協会理事長。
社団法人横浜中法人会副会長。
横浜ロータリークラブ会員。
ヨコハマズ・ベスト・コレクション常任理事ほか公職多数。
崎陽軒(きようけん)の歴史
創業は1908年(明治41年)
■名前の由来
創業者の久保久行が長崎出身で長崎の漢文風の美称である「崎陽」に由来するそうです。
長崎には、太陽が昇る岬という意味の崎陽という別名があるらしいのである。
■沿革
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- 1908年 – 横浜駅(現桜木町駅)での営業許可を取得
- 1923年 – 合名会社崎陽軒を設立
- 1928年 – ホタテの貝柱を使って、冷めても美味しい「シウマイ」を開発・販売開始
- 1950年 – 宣伝のため横浜駅の構内に「シウマイ娘」を登場させる
- 1954年 – シウマイ弁当発売開始
- 1955年 – 「ひょうちゃん」が横山隆一により誕生
- 1967年 – シウマイの真空パックが完成
(「真空パック」という言葉を使ったのは崎陽軒が最初)
- 2005年 – 地元横浜のサッカークラブ横浜F・マリノスに出資
ひょうちゃんとは?
1955年から同社製シウマイの箱中に封入されている陶器製醤油入れの愛称で、
ひょうたん型容器に多種多様な表情が描かれている。
ちなみに、ひょうちゃんの顔を書いていたのは「フクちゃん」を書いた有名なマンガ家、
横山隆一の手によるものだったが、
その後イラストレーターの原田治に変わった。
また、2003年からは横山隆一の作品に戻っているそうです。
なぜ「シュウマイ」ではなく「シウマイ」なの?
おそらく多くの方がウマイ(美味い)から
来ていると思っておられるだろう。
事実、そうアナウンスをしてもいるらしい。
だが、実はそれは後付けなのだという(!)。
考えてみれば、シュウマイでも「ウマイ」は入っている。
小さいユを抜く理由にはならない。
「シウマイ呼び」の本当の理由は、初代社長がシュウマイと上手く発音できず「シーマイ」と
なまって発音していたのを、当時の中国人スタッフが現地での発音「シャオマイ」に近いとお墨付きを与え、最終的に「シウマイ」としたのだそう。
最後に
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お弁当配達はこちら
http://www.kiyoken.com/delivery/index.html
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