小林愛実の経歴や夫は反田恭平で両親は?天才ピアニストとニ宮裕子先生とは?

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小林愛実さんが2023年1月1日にピアニストの反田恭平さんと、それぞれのツイッターを更新し、結婚したことを報告した。

そして新しい命を授かりました事をご報告いたします」とつづった。

2人は幼なじみで、2021年秋にショパン国際ピアノ・コンクールに共に参加し、反田さんは2位、小林さんは4位に入賞した。

天才少女”3歳でピアノを始め、幼少から数々の国内外の大会で1位の座を獲得されました。

 

しかし2012年3年前、アメリカで開かれた国際コンクールで、それまでずっと

優勝しかしなかった彼女が、初めて3位になった。

 

その後小林さんは一切のコンサート活動を休止し、フィラデルフィアに留学し勉学に専念。

小林愛実の経歴や夫は反田恭平で両親は?天才ピアニストとニ宮裕子先生とは?など調べて見ました。

 

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小林愛実(こばやし あいみ)さんプロフィール

職業:ピアニスト

生年月日:1995年9月23日生まれ

出身:山口県宇部市

(8歳より、二宮裕子に師事)

2007年:桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽
教室「仙川教室」に特待生として入室。

2008年〜2009年:東京倶楽部特別助成金を受ける。

2011年4月:桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)に全
額奨学金特待生として入学。

2013年9月:米国カーティス音楽院に留学。
マンチェ・リュウ氏に師事

2023年1月1日にピアニストの反田恭平さんと結婚されて、新しい命を授かりました事をご報告いたします。

小林愛実さん経歴

●3歳よりピアノを始める。

★2001年 – 2004年:ピティナピアノコンペティションに4年連続で全国決勝大会に出場。2001年の5歳での出場は最年少記録である。

★2004年:8歳の時のピティナピアノコンペティションJr.、G級(高校1年生以下)で全国決勝大会第1位 。

★2004年:ショパン国際ピアノコンクールin ASIAアジア大会にて第1位金賞受賞。

★2005年: 9歳で全日本学生音楽コンクール全国決勝大会・小学校の部にて第1位。

★2005年:フランス、パリのコルトーホール、アメリカ、ニューヨークのカーネギーホールにてコンサートを開催。

★2006年 :再びカーネギーホールコンサートを開催。

★2008年 :6月、3度目のカーネギーホールでの演奏。

★2009年 :8月24日、第5回ワルシャワ国際音楽祭にて、フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラと、1840年製プレイエルを弾いて共演、成功を収めた(アンコール曲3曲)。

★2009年 :12月10日、サントリーホールにてメジャー・デビュー記念コンサート(同ホールソロとしては日本人最年少記録、女性ピアニスト最年少記録)。

★2011年:1月13日、第12回ショパン国際ピアノコンクールin ASIAのコンチェルトC部門において、金賞およびコンチェルト賞を受賞。

★2011年: 4月3日には、カーネギー・ホールにおいて、小澤征爾氏が芸術監督を務める日本フェスティヴァルにて、ソロ・リサイタルを行う。

★2012年:ジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクールのヤングアーティスト部門で、第3位入賞。

★2015年 :ショパン国際ピアノコンクール、ファイナリスト。

全部で20名が3次予選へ進みますが、日本人は小林愛実さん1名のみ!

小林愛実さんの両親は?

父親のことは載ってなくて、母親と祖父のエピソードです。

愛実ちゃんは山口県の田舎についても語ってくれました。

 

「山と川と畑があって、じいちゃんとよくタケノコ掘りをしたんだよ」と思い出を楽しそうに語ってくれたこともありました。

 

3歳から「お母さんが私の人見知りを直そうと通わせた」ピアノのレッスンも大好きだった。

彼女の急速な成長に見合った指導者を探し求めた母親は、日本のピアノ教育界の重鎮・二宮裕子女史のもとへレッスンに通わせ、東京に引っ越しもした。

メキメキと実力を付けた彼女は、やがてコンクールの世界で頭角を現すことになります。

引用 二十歳のクロスオーバー~ショパンと小林愛実、若き才能のパシオン~

二宮裕子先生とは?

世田谷区の閑静な住宅街の一角に、二宮裕子先生のレッスン室がある。

二宮裕子先生は、ご自身、日本音楽コンクール等で優勝し、18歳でアメリカに留学、音楽家としての豊富な活

動経験はもちろん、社長夫人としても国内外に幅広い分野の方々と交流をもつ。

 

桐朋学園高校音楽科卒業後、フルブライト留学生としてニュヨークのジュリアード音楽院に学び、6年間、ベヴエリッジ・ウェブスター氏に師事。

同校を卒業後、コネテイカット州・ハートカレッジの講師を7年間務める。

1973年よりはJAPANTRl0メンバーとして、堤剛、数住岸子とヨーロッパ、アメリカ全土で活躍。

1975年l0月に帰国後、全国各地でのリサイタル及びNHK交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団(小澤征爾指揮)、群馬交響楽団との協演。

又日本、米国、ヨーロッパにて、多くの、 国際ピアノコンクールの審査を務める。

現在、桐朋学園大学講師、社団法人全日本ピアノ指導者協会の副会長、コンクール事業部長を務める。

最後に

東京・世田谷にある二宮裕子さんのレッスン室まで

小林愛実さんの実家がある山口県から1人で飛行機を往復して通うほどの熱心な生徒だった。

ちなみに私立の音大を目する費用は、親は諸費も含めて2000万円は覚悟してるみたいです。

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