産科医でピアニスト異色の医師荻田和秀先生がプロフェッショナル 仕事の流儀に登場
ドラマにもなった人気漫画「コウノドリ」。
なぜ荻田和秀先生がモデルになったか、漫画家鈴ノ木ユウさんの妻のお産を担当したのが縁だった。
交通事故で心停止になった妊婦が帝王切開で命を生み出す話、死産に向きあい、
もがく夫婦に医師らが寄り添う話。
漫画は実際の話をもとにしているそうです。
ジャズピアニストでもあります荻田和秀先生を調べてみました。
画像:https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/383391/
荻田和秀(おぎたかずひで)先生プロフィール
生年月日:1966年3月1日(50歳)
出身地:大阪府
出身校:香川医科大学出身
趣味:ジャズピアノ
職場:りんくう総合医療センターラマ!
大阪警察病院、
大阪府立母子保健総合医療センター等を経て
大阪大学博士課程に進学。
泉州広域母子医療センター長兼産婦人科部長
りんくう総合医療センター
荻田和秀先生はジャズピアニスト
4歳から習うピアノは玄人はだしで、ジャズライブを3カ月に1回開く。
荻田先生も実は医師にならなかったら
ジャズピアニストになっていたぐらいの実力者です。
現在はなんと産婦人科医としての
仕事の傍ら、ジャズライブも行っているという
ミュージシャンになりたいという気持ちもあったので、オーディションを受けたり、1年くらい足掻いていた。
ライブ動画がこちら
荻田和秀先生が産婦人科を選んだ理由
ミュージシャンには「何百人にひとりのプロフェッショナル」と「何万人にひとりのアーティスト」がいます。
プロは「いついかなるときでも誰とでもどんなことでも、実力を発揮する」職業で、アーティストは「売れようが売れまいが自分がやりたいことをできる才能のある」人です。
ものすごく才能のある先輩や友達がいたのですが、失踪したり、自殺したこともあって、18歳で悟りました。
「アーティストにもなられへんし、プロにもなれない。オレ、向いてへんな」と。そこから医者を目指して勉強し、浪人してなんとか医学部に滑り込んだのです。
実は大学に入ってからも音楽をやっていました。非常に不真面目な学生だったと思います。
あまりに授業に出ていなかったために、教授から「君が荻田くんか、初めまして」と言われるほど。
「ああ、初めまして」と正直に言ったら、めちゃくちゃ怒られました(笑)。
だから「医者になったら死ぬほど真面目にやろう!」と決意したのです。
初めは研究者を目指そうと思っていました。研究者はいわばアーティストです。
アーティストになりたい、認められたいと思うあまり、おぼちゃん(小保方晴子氏)のような人も出てきてしまうわけですね、あの業界では。
ただ、そのときは自分の志向が定まっていなかったため、いろいろなことをできる科がいいと考えました。
救命救急も考えたのですが、そのときたまたま産科の救急現場に居合わせたのです。
産婦人科であれば、研究も外科的要素も救命救急の一面もあるんだなと気づきました。
そんなわけで、僕は産婦人科を選んだのです。