野球の長嶋茂雄氏のフアンですと石川 誠
(いしかわ まこと)医師を知っていると
思います。
2004年(平成16年)脳梗塞で倒れた長嶋茂雄氏で
フアンはビックリしましたね。
その時2004年(平成16年)4月のことだ
アテネ五輪を控えた野球日本代表監督。
日本中の関心が高く石川 誠医師も
「失敗は許されない。緊張しました」
といってました。
石川 誠医師が43年くらい前は
リハビリ治療医師が東京になかったそうで、
リハビリテーション医療は惨憺たる状態で、
制度上の位置付けが弱く、診療報酬も非常に
低く抑えられていた。
当時は価値が認められていなかったそうです。
それが変わってきたのは、高齢化が始まって寝たきり患者が増え、
病院のベッドがどんどん増えてしまったから、
国としては何とかしなければならず、
その切り札がリハビリテーション医療だったのです。
その第1人者が石川 誠医師なのです、
そんな石川医師の経歴や出身大学など
調べて見ました。
画像:http://epilogi.dr-10.com/articles/465/
石川 誠(いしかわ まこと)医師の経歴
医療法人社団「輝生会」理事長
誕生:1946年 71歳
出身地:埼玉県生まれ
出身校:1973年群馬大学医学部卒業
職歴:
群馬大学医学部大学医学部脳神経外科研修医。
佐久総合病院脳神経外科医員、
虎の門病院脳神経外科医員、
近森病院リハビリテーション科長を経て、
1989年年近森リハビリテーション病院院長。
2000年医療法人財団新誠会理事長。
2002年輝生会理事長。
2002〜2005年年初台リハビリテーション病院院長。
2008年〜船橋市立リハビリテーション病院指定管理者代表。
2014年〜船橋市リハビリセンター指定管理者代表。
回復期リハビリテーション病棟協会常任理事、
日本訪問リハビリテーション協会相談役、
日本リハビリテーション病院・施設協会顧問、
日本リハビリテーション医学会専門医・代議員。
共著:『高齢者リハビリテーション医療のグランドデザイン』
『夢にかけた男たち─ある地域リハの軌跡』など。
石川医師は高校、大学とラグビーに明け暮れた
ラガーマンだったのです。
群馬大学医学部大学医学部脳神経外科研修医
だったので脳神経外科医として手術した男性が
寝たきりになったのをきっかけに、
リハビリ治療を追求するようになった。
「患者が自立して生活できるように」が
第一の目標だったのです。
脳外科医からリハビリ医に転身。
周囲が冷ややかな目を向ける中、
高知県でリハビリ病院を立ち上げ成功すると、
今度は「リハビリ病院の立地は地方の温泉地」
という常識を破り、
東京都心にリハビリ病院を開院。
長嶋茂雄氏やイビチャ・オシム氏もリハを行い、
名を上げた。
制度が後付けしてくる医療を行ってきた
リハビリ界の風雲児と言われております。
医療法人社団「輝生会」
■初台リハビリテーション病院
住所:渋谷区本町3-53-3
TEL:03-5365-8500
長島茂雄監督やイビチャ・オシム監督など著名人が入院リハをしたことでも有名です。
(主治医は回復期リハビリテーション病棟協会常任理事の石川誠先生)入院だけでなく外来リハ、訪問リハも行っています。
●アクセス
京王新線「初台駅」東口より徒歩10分
都営地下鉄大江戸線「西新宿五丁目駅」A2出口より徒歩9分
京王バス(64系統・渋谷駅西口11番~中野駅南口)「関東国際高校」下車徒歩1分
■船橋市立リハビリテーション病院
住所:千葉県船橋市夏見台4-26-1
TEL:047-439-1200
アクセス
最寄駅
JR船橋駅北口バスターミナル(5)(6)よりバス
医療センター経由に乗車
金杉台団地、鎌ヶ谷大仏、三咲駅、御滝不動より
バス医療センター経由に乗車
・バス停
医療センター前
■お車でお越しの場合
京葉道路 花輪ICより我孫子方面
国道14号 大神宮下交差点より高根台方面へ15分
駐車場併設(80台収容)
最後に
東京には70以上もの回復期リハビリ病院が
存在しますが、
石川 誠医師の医療法人社団「輝生会」の
病院を紹介しました。