吉本興業の林 正之助は吉本せいの実の弟でドンと呼ばれた

父親は「林豊次郎」で母親は「林ちよ」ですが、
子供は12人おります男6人の女6人ですが、
早くに亡くなっております。

 

林 正之助は三男として1899年(明治32年)
1月23日大阪天神橋で生まれました。

 

1914年(大正3年)に第一盈進高等小学校
を卒業し北野中学校を受験も落ちてしまい。

 

長姉の林きく(白井きく)夫婦が営む兵庫県明石市の太物屋
「紀伊国屋」に奉公にいく。

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※太物屋とは

和服用の織物の呼称の一つ。絹織物に対して綿織物や麻織物を
太物と称した。

絹の着物、すなわち本義としての呉服があり、その繊維と
比較して太い木綿を主として、麻や楮を太物と呼んだ。

 

しかし修行にならないと林きく(白井きく)の
夫の親戚が営む雑貨店「いやり屋」に預ける。

 

奉公が終わり姉の林きく(白井きく)夫婦の
摂津紡績の売店で働くが、

 

女子工員ばかりで林 正之助は女性目覚めすぎて
しまい長姉の林きく(白井きく)が出店する
「つるやモスリン店」に移動させられる。

 

しかし近くに神戸遊郭がありまた目覚めることに。

関連サイト

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画像:http://omoide.us.com/famous/$/no/79789/

吉本興業部総監督

1917年(大正6年)に姉の吉本せいから声がかかり

吉本興業部で働くことになる。

 

最初は下足番からで、後に正社員になり
「吉本興業部総監督」の役職になる。

 

給料も公務員が70円の時代に200円の給料を
もらえたが、

 

仕事は厳しく寄席の監視や監督にヤクザとの
トラブル解決だった。

 

1924年(大正13年)吉本せいの夫吉兵衛が
亡くなったが片腕となっていた林 正之助と

 

その8歳年下の林弘高を入社させ東京吉本を
担当させた。

 

吉本興業株式会社

1948年(昭和23年)に吉本興業株式会社
に改組され

会長 吉本せい

社長 林 正之助

平成3年に92歳で亡くなり、その後
創業家以外の社長誕生となります。

 

中邨秀雄(なかむらひでお)が社長に

林正之助=林 勢

(2・4.7代目社長)

林マサ=林祐章
(9代目社長)


林正樹
(吉本興業プロデューサー)

 

東京進出が成功し安定したところで
1999年(平成11年)に社長の座を林正之助の娘婿で林祐章に渡したが、

 

2005年(平成17年)62歳で病死で
また社長の座は創業家以外移り

吉野伊佐男に渡り。

2009年大崎洋が社長に現在に至る。
1978年に関西大学社会学部卒業後、
吉本興業に入社し、
ダウンタウンとの関わりが強く、吉本総合芸能学院(NSC)

開校時の担当社員となり、
無名時代の2人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教える。

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