苑田聡彦は広島東洋カープスカウトで待遇や現役時代の成績は?

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苑田聡彦(そのだ としひこ)氏はカープの
スカウト統括部長を務めている。

 

年齢は72歳だになるが、1964年に
カープに 入団して、外野手、内野手の

バイプレーヤーとして1077年までプレーした選手です。

引退後は40年 近くカープのスカウトを務めており、

50年以上にわたってカープ一筋の野球人生を送って いる苑田氏である。

 

苑田氏の眼力はすごい、カープは伝統的に、補強に莫大な資金を

つぎ込むような球団ではない。

 

カープのドラフト戦略は、上位で即戦力級の力を持った投手を指名し

、2位以下で野手を指名するケースが目立つ。

 

2位以下で獲得している野手の成功率の高さである。

そんな苑田聡彦氏のプロフィールや高校、現役成績、待遇など調べて見ました。

 

画像:https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/568…

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苑田聡彦(そのだ としひこ)氏プロフィール

ポジション:外野手、内野手・投打右投右打

生年月日:1945年2月23日

出身地:福岡県

年齢:72歳(2017年現在)

身長:173 cm

体重:73kg

出身高校:福岡県立三池工業高等学校

プロ入り:1964年

初出場:1964年

最終出場:1977年

背番号

34(1964年 – 1974年)

2(1975年 – 1977年)

 

三池工高時代は九州一のスラッガーで
期待されていた。

 

苑田氏が選んだのは一番条件の低かった
広島カープだった。

 

理由は担当だった久野久夫スカウトの人柄
で金額は二の次だったそうです。

 

人間は自分を高く評価してくれて、入団金も
高いところを選ぶとおもいますが、

苑田氏はスカウトの人柄で選んだ。

 

4年目となる1967年には打率.
266と自己最高の成績を残した。

 

運が悪く1969年に山本浩二の入団で外野
から内野へコンバートされた。

 

再度運が悪く1975年には衣笠祥雄
三塁手に回り行き場を失ったが、

 

5月に大下剛史が負傷欠場し、
代わりに二塁手、、一番打者として10試合
に出て40打数17安打と活躍した。

 

1977年に現役引退し、スカウトとして球団に残り、

東日本を中心に活動する。

 

東日本からは、江藤智、金本知憲、嶋重宣、
黒田博樹、大竹寛、永川勝浩らを入団させた。

 

2006年からスカウト部長に就任、
その後スカウト統括部長に就任した.

 

苑田氏の現役打撃成績!

通算打撃成績

右打:実働14シーズン

ポジション : 二塁、中堅

814試合で1711打数、178得点
403安打、49二塁打、16三塁打、23本塁打

553塁打、115打点、勝利打点27盗塁 25盗塁死、40犠打、7犠飛

80四球、1故意四球、6死球、266
三振27併殺打、打率.236

長打率0.323、出塁率.271、
盗塁成功率 51.9%、本塁打率74.4

改名履歴

1073年まで(苑田 敏彦)

広島東洋カープスカウトで待遇は?

カープのスカウトは、他球団よりも待遇がいいよね。

厚生年金にも入っているし、遠征のときはグリーン車にも座れる。

 

車も支給されているし、車検のたびに新車に換えてくれる。

親元がマツダ

先代オーナーの方針でスカウトが生命線なので
お金をかける。

 

苑田氏は72歳ですが他の球団も
スカウトは社員じゃなくて選手と
同じ扱いの年契約がほとんどです。

いかに信頼を得ているかがわかります。

最後に

巨人ですらスカウトはレンタカーも禁止
だそうで各球団のスカウトは大変みたいです。

安い金額でよい選手をスカウトする
育成し伸ばす球団ですから。

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