西郷隆盛の性格や本名の謎にプロフィールは?肖像画も本人で無い?

西郷隆盛はどんな性格の人だったのですか

薩摩隼人の気質として豪放・質実剛健が美徳とされましたが、
それは断っておきますが民族的な評価です。

 

誠忠組ら下級武士階級には島津久光をじごろと相手にしない気骨を、

島津斉彬には必ずの忠誠を、月照上人には自らの命をかけて

責任をとる姿を周囲にみせました。

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弟の西郷従道のような処世はできませんでした。

一方で軍人としての立場と政治的なそれを明確化する事がもとめられた

近代明治にそぐわない「一個の英傑」だとも言えます。

 

さらに彼には写真嫌いという嗜好があり現存すると伝わるものは皆無です。

明治天皇は西郷を信用しており、後の西南役の汚名が早く雪がれた

事の一因とされています。

 

ご時世が求めたのは「成果」であって「人物」ではなかったと考えれば、

徳川慶喜のように総てを見限るあるいは見捨てる事ができたのと正反対ですね。

 

このような自己主張の強い精悍な兵たちを束ねるべき別の

資質が西郷隆盛にはありました。

 

越後長岡の河井継之助のようなよくも悪くも一徹な人物と

言えるのではないでしょうか。

そんな西郷隆盛の性格やプロフィール、本名、肖像画など調べて見ました。

 

画像:http://www.library.pref.kagoshima.jp/honkan/?p=251…

西郷隆盛(さいごうたかもり)プロフィール

本名:西郷 隆永(たかなが)

武士(薩摩藩士)、軍人、政治家

誕生日:1828年1月23日

出身地:鹿児島県

死没:1877年9月24日(満49歳没)

 

西郷隆盛は本名ではない?

西郷隆盛。本当の名前は隆永(たかなが)である。

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では、なぜ西郷さんは「隆盛」になったのか
それは、

1869年(明治2年)には明治天皇から
「明治政府樹立に貢献」したことで

位階を授かることになり、明治政府は書類に西郷の本名を記す必要が生じた。

 

しかし西郷はそのときにが函館遠征中で連絡がつかなかった。

そこで西郷の友人である 吉井友実(ともざね)に西郷の本名を聞きに行ったが、

吉井友実は通称ネームの「吉之助」と呼んでいた為、本名をなかなか思い出せなかったが、

 

やっと思い出した「隆盛」という名前を伝え、明治政府は「西郷隆盛」で

書類を作成したそうです。

 

実は「隆盛」と言う名前は西郷の

父親の名前だったのです。

 

しかし書類も出来上がっていたため、
直さず

以後、父親の名前「隆盛」を名乗り、
戸籍にも「隆盛」と登録され「西郷隆盛」と
なったのである。

 

西郷隆盛の肖像画も本人では無い?

西郷は大の写真嫌いで、明治天皇が写真を欲しがった時でも断ったほどで、

西郷の顔写真は一切残っていない。

 

どうやって作成したか?

肖像画は西郷隆盛が亡くなった次の年の
1878年に、

キヨッソーネというイタリア人銅版画家が、人から特徴を聞いたり、

弟の西郷従道(つぐみち)やいとこの写真を参考にして描いたもので、

作者のキヨッソーネは西郷隆盛の顔を見たことがなかったそうです。

 

しかし現在も肖像画や上野恩賜公園の
西郷さんの銅像もそのまま使用されています。

最後に

上野の西郷さんが連れている犬の名前は?種類は?

薩摩犬という野性の血を強く受け継いでいる猟犬で、

名前を「ツン」と言いました。

銅像の犬もツンがモデルではなく、薩摩犬でも性別は雄だそうです。

猟犬だけあって気性は荒かったようです。

関連サイト

西郷隆盛 ひ孫の西郷隆夫の略歴や職業と画像は?お店はどこ

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