ナイキ創業者フィルナイトと日商岩井の皇 孝之と鬼塚喜八郎の関係は?

ナイキ創業者フィルナイト氏はオレゴン大学時代には陸上選手として
活躍していた。

 

その後は陸軍への参加を経て名門
スタンフォード大のビジネススクール
に進学してます。

 

「日本のスポーツシューズは、カメラ分野と同じくドイツ勢に迫り勝てるのか?」といったテーマの論文を書いたのです。

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学生時代から日本のスポーツシューズに可能性を感じていたフィルナイト氏、

フィルナイト氏の経歴やオニツカタイガー(現・アシックス)の創始者である

鬼塚喜八郎氏や日商岩井の皇 孝之氏など調べて見ました。

 

画像:http://urahara-fashion.com/blog-entry-5452.html?sp

フィル・ナイト氏の経歴

役職:ナイキ創業者

誕生日:1938年2月24日生まれ

年齢:80歳(2018年5月現在)

出身地:オレゴン州ポートランド

出身大学:オレゴン大学、スタンフォード大学経営大学院

 

オレゴン州のポートランドに生まれたフィル・ナイト氏は、

幼いころからスポーツが好きで陸上競技が好きだった。

 

オレゴン大学に進学後も陸上を続けます、
陸上のコーチであったビル・バウワーマン氏は、コーチとして

指導に優れていただけでなく、

みずからにシューズの開発もしていた。

 

フィル・ナイト氏自身も陸上の技術だけではなく道具開発について学ぶようになった。

その後は陸軍への参加を経て名門スタンフォード大のビジネススクールに進学、

ビジネスプランを練るという課題において論文を書いた、

 

「日本のスポーツシューズは、カメラ分野と同じくドイツ勢に迫り勝てるのか?」

といったテーマでした。

 

オニツカタイガー(現・アシックス)の創始者である鬼塚喜八郎氏の出会いは?

1962年11月に卒業旅行で日本の神戸に立ち寄ったフィル・ナイト氏は、

オニツカタイガーシューズの高性能と低価格に感激し、すぐさまオニツカ社に連絡。

 

鬼塚喜八郎氏と直接面会し、米国西部での販売代理店契約が即座に決定したのです。

 

鬼塚喜八郎氏はのちに語っています
「裸一貫で事業を始めたいとの彼の心意気に創業当時にリュックをかついで全国を歩いた自分の姿が重なり、

この若者に思い切って販売店をやらせてみることにした。(日経新聞「私の履歴書」より)」と。

その当時、鬼塚氏は44歳、ナイト氏は24歳。

海外進出という合理的な理由よりも「勢いのある若者の可能性を信じたい」という心意気で決断を下したのではないでしょうか。

 

ナイト氏がアメリカに帰国後に
オレゴン大学時代の陸上コーチで
シューズの改善にも余念のなかった

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ビル・バウワーマン氏と1964年2月にBRS(ブルーリボンスポーツ)社を設立。

 

しかし店舗は無く車で各地を回りながらの営業だった、

なかなか売り上げがあがらず、フィル・ナイト氏は

ポートランド州立大学で会計を教えたり会計士をしながら生計をたてていたそうです。

 

BRS(ブルーリボンスポーツ)社一号店をオープン

1966年にサンタモニカに一号店をオープンしてます、

BRS社がアメリカ人にウケる機能性やデザインをオニツカ社に提案し

オニツカ社が製品に反映するという密接な連携をとっていた。

 

オニツカとの提携を解消で提訴?

フィル・ナイト氏とビル・バウワーマン氏は自社ブランドシューズの展開。

オニツカとの契約解消後、福岡のアサヒコーポレーション(ブリヂストンの源流)に
トレーニングシューズを製造委託したのです。

 

1971年には自社ブランド「NIKE」の
象徴スウッシュの入ったシューズを発売します。

 

ビル・バウワーマン氏のアイデアで開発された人気スニーカー

「コルテッツ」のデザインおよび名称の
使用権について両社が対立したのです。

 

<左:ナイキコルテッツ / 右:タイガーコルテッツ>

結局はBRS社がオニツカ社を提訴するという事態にまで発展。

弁護士費用と和解金あわせて1億数千万円をオニツカ社が支払った上、

名称をタイガーコルテッツからタイガーコルセオに変更するということで

和解したのです。

 

ナイキとオニツカタイガー(現・アシックス)との過去の争いが

あったのは知りませんでした。

 

日商岩井(現 双日)た皇(すめらぎ)孝之氏の関係は?

1970年の時はまだフィル・ナイト氏が
飛び込み営業していたときに、

 

現地にあった日商岩井ポートランド支店をナイト氏が訪ねたところから関係が始まる、

当時は営業担当の皇孝之氏は28歳でナイト氏は32歳だった。

 

アメリカに大きなシューズメーカーはなく、ビジネスになると感じた皇氏が

融資・支援を決め、その後、何度となく
ナイキ社の窮地を救ったのです。

 

ナイト氏は「彼らがいなかったら、今のナイキはない」と話してます。

最後に

ビル・バウワーマン氏の優れたデザインのシューズを売り込むためにオニツカタイガーとの契約を切り、

独自のオリジナルブランドとなるナイキを創立したのですが、

日本の会社がたずさわっていたのですね、
現在は東京ドーム35個分という広大な敷地には、

サッカー場もあればジムもあれば、保育園もあり(2か所)もある。

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