大山健太郎(おおやま・けんたろう)氏は
ホームセンター向けの「便利で低価格な商品」で成長を遂げてきた、
アイリスオーヤマは今までにない消費者目線に立った
家電製品で大躍進を遂げている。
アイリスオーヤマを一代で築き上げた大山健太郎会長が半世紀ぶりに2018年6月に長男で取締役の晃弘氏になった。
このコロナ禍でも売上高は過去最高でさらに2年以内に「売上高1兆円」を目指すとぶち上げた。
プラスチックの収納容器を始め、今や家電やパソコン、さらにはマスク、米、水に至るまで、
実に2万5千アイテムを製造する一大ブランドだ。
そんな大山健太郎会長の経歴や社長は長男の晃弘の経歴と姪はコラムニスト犬山紙子など調べて見ました。
大山 健太郎(おおやま・けんたろう)会長の経歴
役職:アイリスオーヤマ株式会社 会長
アイリスグループ 会長
誕生日:1945年7月3日生まれ
出身地:大阪府藤井寺市
出身高校:大阪府立布施高等学校卒業
その他の役職
仙台経済同友会代表幹事
日本ニュービジネス協議会連合会副会長
東北経済連合会副会長
東北大学総長顧問
復興庁復興推進委員会委員を務める。
2017年秋、旭日重光章受勲。
大阪府東大阪市で在日韓国人2世である
父親の大山森佑氏が創業した、
プラスチック製の養殖用ブイや育苗箱をつくっていた町工場である
大山ブロー工業。
父親の大山森佑氏がガンにかかり、余命半年と宣告され、
大山健太郎氏は当時高校三年生でしたが、大学進学をあきらめ
8人兄弟の長男として家業を継いだのです、日本が東京五輪に沸く1964年7月、
父の逝去に伴い弱冠19歳の健太郎氏が
「大山ブロー工業所」の代表に就任したのでした。
1971年に法人化して大山ブロー工業株式会社へ改組。
1972年に健太郎氏が27歳の時に仙台工場(現・大河原工場)を新設。
第一次オイルショックによって事態は急変し、1978年に本社工場を閉鎖。
その後ガーデニング用品・ペット用品・
収納用品・ 日用品・事務用品など発売し
1991年9月 に商号をアイリスオーヤマ株式会社に変更する。
『経済危機で目先の需要は大きく減るが需要は変化する。ただその変化した需要を捉える人はあまりいない。常に情報収集をして、何が変わったかを探して、その変化にどう対応するかを考える、そうしたことの積み重ねが役に立つのではないか』
アイリスオーヤマ 大山晃弘社長 https://t.co/9yDzGgNmhN
— み ず た ま 。 (@dots_dots_) May 8, 2020
大山晃弘(おおやま・あきひろ)社長の経歴
役職:アイリスオーヤマ株式会社 社長
誕生:1978年生まれ
出身地:仙台市出身
大学:米ベロイト大中退
職歴:
2003年アイリスオーヤマ入社。
執行役員などを経て、
2015年3月から取締役。
2018年7月1日に取締役社長。
父親の大山健太郎氏は
今後はアイリスグループ全体の長期的な経営方針を定め、
さらなるグローバル展開を図ります。
現在、アイリスホールディングスとグループ海外事業の責任者である大山晃弘には
高い志とそれを実現するリーダーシップを持ち、新たな視点で社会に貢献することを期待しています
引用元
犬山紙子(いぬやま・かみこ)さんの経歴
犬山紙子さんとアイリスオーヤマとの関係はネット上では、
会長の娘などと言われてましたが、
父親はアイリスオーヤマの専務取締役で
大山冨生氏です。
大山健太郎会長は叔父さんなのです、
本名:大山じゅん子
生年月日:1981年12月28日生まれ
出身地:大阪府
職業:コラムニスト、エッセイスト、タレント、ラジオパーソナリティ
出身高校:仙台白百合学園高等学校 卒業
出身大学:東北学院大学経済学部 卒業
結婚:既婚・子供は長女1人
大阪生まれで兵庫県で過ごし中学生の時に宮城県名取市に移住した。
仙台白百合学園高等学校に入学、お嬢様高校として有名高校です。
東北学院大学経済学部卒業後は
仙台の出版会社で編集者として働きましたが、
家庭の事情で退職されています。
ニート時代が2005年~2011年は
家族の介護のためだったようです。
2014年8月8日に入籍結婚相手は
音楽プロデューサーの
劒樹人(つるぎ・みきと)さんです。
「あらかじめ決められた恋人たちへ」というバンドでベースを担当しています。
2017年1月6日に第1子女児出産。
最後に
アイリスオーヤマが不足するマスクの国内生産を始める。
(Φ3Φ)y-゜゜゜アイリスオーヤマのマスクは60枚入で1180円だったわよ〜♡ pic.twitter.com/BxHyuxWFvu
— 中津 猫之介 (@nkt_nekonosuke) May 6, 2020