高橋名人(たかはし・めいじん)プロゲーマー、ゲームプレゼンター、実業家、株式会社MAGESゲームプレゼンテーターです。
高橋名人は1980年代半ばから1990年にかけてファミコン名人として、一斉を風靡した方なのです。
ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回(1連射に0.06秒)押す16連射は高橋名人の代名詞となっている。
16連打以上も可能だったが、語呂の良さや仕事柄16進数に親しみがあったなどの理由から16連打ということにしたそうです。
握力85キロあり、りんごも片手で潰せたそうで、邪道とされる「こすり」「ピアノ打ち」正統派の連射しか公式な場で行うことはしなかった。
ファミコン全盛期にハドソン所属のファミコン名人として一世を風靡し、歌手としても活動もされている。
そんな高橋名人は日本でいちばんボタンを押した人?本名に年齢や経歴と高校は結婚した13歳年下の嫁にスキンヘッド?など調べてみました。
高橋名人(たかはし・めいじん)さんの経歴
本名:高橋 利幸(たかはし・としゆき)
職業:プロゲーマー、ゲームプレゼンター、実業家、株式会社MAGESゲームプレゼンテーター
誕生日:1959年5月23日生まれ
出身地:札幌市西区
出身高校:東海大学付属第四高等学校(現在の東海大附属札幌高校)
大学:北海道自動車短期大学(現在の北海道科学大学短期大学部) 中退
身長:163㎝
体重:68㎏
血液型:O型
結婚:嫁さんは13歳年下の一般女性
ブログ:https://ameblo.jp/meijin16shot/
高橋名人は、北海道札幌市西区の出身で、実家は「金物屋などを経営する名家」でした。
東海大学付属第四高等学校(現在の東海大附属札幌高校)」卒業後、「北海道自動車短期大学(現在の北海道科学大学短期大学部)」に進学、
授業がつまらなかったため3ヶ月で中退し、当時アルバイトをしていたスーパーマーケット「札幌フードセンター」にそのまま就職、
青果部で勤務して3年目の1981年には主任に昇格。
高橋名人は、責任者として仕入れや在庫管理、伝票整理などの煩雑な業務に嫌気がさし、
当時話題になっていた「マイコン・シャープMZ-80B(現在のパソコン)」を70万円のローンで購入したが、専門的なプログラミング知識が必要であったため挫折。
毎月届く高額な返済の振り込み用紙を見て一念発起し、BASIC(プログラミング言語の一つ)のコマンドを30個覚えたところで、スーパーを退職。
覚えた知識を活用して地域のカルチャーセンターでマイコン講師の仕事に就任。
高橋名人は、このカルチャーセンター講師の仕事を通じて独学によってマイコンの知識を深め、
友人の勧めもあって1982年8月に当時、国内で初めてパソコンゲームを製作販売していた「ハドソン」に入社。
高橋名人のハドソン社員としてのゲーム実演をきっかけに名人襲名。
高橋名人の名前は商標登録されている。
ハドソン入社後は営業部で働いていた高橋名人でしたが、ハドソンが当時発売されたばかりだった、
任天堂ファミリーコンピューター(ファミコン)のソフトウェア開発への参入を決めたのを機に宣伝部へと配属されています。
ハドソンは、当時発刊されていた子供向け漫画雑誌「コロコロコミック」と組んでプロモーションを展開。
宣伝部の高橋名人はコロコロコミック編集部に通い、連載されていたビデオゲームをテーマにした漫画作品「ファミコンロッキー」へのハドソン作品の登場などをに関わる。
今まで、初めて買ってもらった漫画雑誌はコロコロコミックの79年6月号とばかり思っていましたが、あの頃大型スーパーに行った時に買ってもらった雑誌があったなと昨夜寝しなに思い出しまして、今日調べてみたところ冒険王の79年5月号と判明。ひと月差で冒険王でした。お詫びして訂正いたします。 pic.twitter.com/28ZX0dDzQd
— 大橋ツヨシ@どらねこのメロディー (@tsuyoshioo) February 23, 2024
1985年3月に高橋名人は、コロコロコミックが銀座松坂屋の屋上で主催した「コロコロまんが祭り」に、
ハドソンの新作ゲーム「チャンピオンシップロードランナー」を実演するためにハドソン社員として出演。
当時はファミコンが社会現象になりかけている頃(スーパーマリオ発売の直前)で、高橋名人の実演には1000人以上の親子連れが集まりました。
この実演後、高橋名人にサインをねだる子供が約300人ほども殺到。
この事態を見たハドソンやコロコロ編集部は、高橋名人がゲームを実演して全国を回る「ハドソン全国キャラバン」を企画する事になり、この時に初めて「高橋名人」と名付けられる。
高橋名人は「ハドソン全国キャラバン」にて初めて必殺技「16連打」を披露し、これが「コロコロコミック」などでも大々的に特集され全国の子供達のヒーロー的存在になる。
1985年8月に高橋名人は、テレビ東京の朝の番組
「おはようスタジオ」に初めてゲスト出演し、ファミコン名人としてゲームを実演しています。
この時の視聴率が急上昇したという事で、高橋名人は同番組に定期出演するようになり、すぐに毎週出演するレギュラーコーナーとなります。
高橋名人をモデルにした主人公「高橋原人」が登場する日本テレビ系列のテレビアニメ「Bugってハニー」も放送されヒットされている。
1986年10月からはテレビ東京で「高橋名人の面白ランド」という冠番組までもがスタート。
TBSラジオの「子供電話相談室」の先生役にも抜擢される。
1987年10月からは、日本テレビのバラエティ「DOKIドキDO!」に司会者として出演、ハドソン社員でありながら大人気タレントのような活躍をされている。
当時は、そのあまりの人気ぶりから誹謗中傷があり、2週間で全国に広まって都市伝説化し、海外メディアから問い合わせが入るほどでした。
【ちょっとコバヤシ玩具店】
店長「自信あるこれ」(第1回より)
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高橋名人はファミコンブームと共に社会現象となり、
1990年頃まで子供達の憧れの存在として活躍。
高橋名人は2011年5月31日、ハドソンを退社。
2011年6月1日にゲッチャ・コミュニケーションズに入社。
ハドソンとの交渉により「高橋名人」の名は引き続き使用できることになった。
2012年10月にゲッチャ・コミュニケーションズの買収に伴い、ゲームプレゼンテーターとして株式会社MAGES.に移籍(現任)。
2014年6月に企画、開発、運営まで、ゲームに関わるすべての業務を行う株式会社ドキドキグルーヴワークスを設立し、代表取締役名人に就任(現退任)。
2016年6月7日に、一般社団法人e-sports促進機構代表理事に就任(他団体と統合して一般社団法人日本e-sports連合となった際に退任)。
現在はソフト監修やイベント登壇など、ゲームの振興に今も携わる。
高橋名人の結婚と嫁は?
嫁さんは13歳年下の一般女性と結婚されております。
出会いは、グッズのイベントで13歳年下の女性と出会い、後日交際に発展されて、
その後2011年12月9日夜、自身がMCとして出演するニコニコ生放送の番組『ゲッチャ!』において、
同日入籍したことを発表されております、記念日を忘れないようにとの考えから、嫁さんの誕生日に入籍しました。
高橋名人52歳で嫁さんが39歳となりますが、高橋名人の希望は20代の女性と結婚したかったそうです。
ファミコン版スターソルジャーの1面プレイ動画です。 pic.twitter.com/vFhat3tUeV
— 高橋名人 (@meijin_16shot) June 2, 2022
高橋名人のスキンヘッドの理由は?
風貌については全盛期の髪型から総髪を後ろで束ねた髪型を経て、2003年からはスキンヘッドの姿となた。
本人の日記によると「趣味であるツーリング時にスキンヘッドの方が便利」だからとの記述がありました。
結婚してからは夫婦でツーリングをしており、帽子を被るようになったのは、おはようスタジオに遅刻した際、
オートバイで駆けつけたため広がった髪を押さえ付けるためADから帽子を借りて被ったのが切っ掛けだったそうです。
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