脇園彩(わきその・あや)さんはオペラ歌手で、現在はイタリアを拠点に活躍を続けております。
脇園彩さんは 順風満帆に見えたキャリアのスタートでしたが、身に染みついた「日本的なもの」との間で戸惑うこともありましたが、
世界最高峰の歌劇場の一つ、ミラノ・スカラ座の研修所に合格し、イタリアでのオペラデビューを果たすことができました。
脇園彩さんの最大の特徴は「細かく速い音符の連なりを転がすように歌い上げる」「アジリタ」と呼ばれる技法。
十八番とする『セビリアの理髪師』のロジーナは、数ある歌劇の中でも特に音数が多く難易度が高い。
だが脇園の圧倒的な表現力と正確な歌唱技術は、聴衆を一気に引き込んでしまう。
脇園彩オペラ歌手の経歴や年齢に高校と大学は?両親から学んだ教育とは?など調べて見ました。
脇園彩(わきその・あや)さんの経歴
職業:オペラ歌手
誕生:1988年生まれ
出身地:東京都
出身高校:桜蔭中学校・高等学校
出身大学:東京藝術大学音楽学部声楽科
大学院:同大学院音楽研究科修士課程声楽専攻(オペラ)修了
受賞歴他
東京藝術大学音楽学部学部3年次に安宅賞。
卒業時にアカンサス音楽賞・同声会賞受賞。
第58回藝大オペラ定期モーツァルト作曲≪ドン・ジョヴァンニ≫(高関健指揮・粟國淳演出)ドンナ・エルヴィーラ役でオペラデビュー。
国際コンクールNeue Stimmen 新しい声 2013 (ドイツ・ギュータースロー)セミファイナリスト。
2013年10月より文化庁新進芸術家海外研修制度研修員としてイタリアに留学。パルマ・アッリーゴ・ボーイト国立音楽院ビエンニオコースを経て、ミラノ・スカラ座研修所を修了。
脇園彩さんは元役者という両親の影響もあり、幼い頃から舞台やミュージカルに親しんでおられます。
女子御三家の進学校の桜蔭中学校・高等学校進学、桜蔭は1学年の半分ぐらいが東大に入るという超進学校。
しかも進路別では、医学部をはじめとする理数系学部を選ぶ子が圧倒的に多いという女子校です。
当初はミュージカル女優が夢だったが、浪人時代に見たオペラ「椿姫」をキッカケにオペラ歌手を目指すことを決意されたのです。
2013年に文化庁派遣芸術家在外研修員としてパルマ国立音楽院に留学。
ところが、初めて実家を離れたせいか、異文化のせいか、イタリア語ができないせいか、人に会うのがつらくなり、部屋に引きこもりがちになってしまいました。
脇園彩さんは完璧主義なところがあって、間違うことの怖さから、どうしても次の一歩が踏み出せなかったのです。
問題は文化庁の奨学金は2年間なので、奨学金が切れても、やっぱりイタリアには残りたい。
外に出るよう背中を押してくれたのは、パルマに留学していた日本人の先輩方、
2014年春に引きこもり生活から脱出するきっかけが、「ロッシーニ音楽祭」のオーディション、
完璧主義の脇園彩さんだったが、この生活を変えたい一心で出場されて合格。
また、ミラノ・スカラ座が開く研修所の追加オーディションにも合格したのです。
2014年に『子どものためのチェネレントラ』でスカラ座デビューを果たす。
2018年にはロッシーニ・オペラ・フェスティバル《セビリアの理髪師》ロジーナに出演。
2020年《セビリアの理髪師》ロジーナ、2021年《フィガロの結婚》ケルビーノに出演。
以後イタリアを拠点に活躍を続け、2024年も『ビアンカとファリエーロ』のファリエーロ、『イングランドの女王エリザベッタ』のタイトルロールで出演が決まっている。
脇園彩さんのキャリアの集大成にして〈愛〉のアルバム『アモーレ』
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今週のオシ第3弾は14(木)
/#脇園彩 #小堀勇介 デュオ リサイタル ✨
\国内外の歌劇場で活躍する
メゾ・ソプラノ 脇園彩
テノール 小堀勇介今年1月の東京ライブから
イタリアオペラの傑作を ☺️
#ランスへの旅 #湖上の美人#ロッシーニ#園田隆一郎 pic.twitter.com/8H6hElMAEq— NHK Classic (@nhk_classical) March 10, 2024
脇園彩さんの両親から学んだ教育とは?
子供の頃から、親に支えられて好奇心を育んできた脇園彩さんは、
「自分自身の興味を見つけ追求することが本当の幸せ」と信じるご両親のもとで育ったそうです。
様々な経験を積ませ、子供たちが自身の情熱を見つけられるよう支援することを重視しておられます。
学びの一環として、多種多様な習い事を経験させる方針だったそうで、それは脇園さんの外国語への愛着と学習意欲、
そして音楽活動における大きな財産となったと言います。
幼い頃に始めた英語学習は、ディズニーを使った楽しい教材を通じて、言語だけでなく異文化への理解も深めていきました。
脇園さんは特に、母親から多大なる影響を受けていると語り、子供たちがその価値観を持つ個々の人間としてその意見を尊重し、
思いやりを持って接することの重要性を学んだと振り返っています。
それらの経験が、今日の彼女を形作る上で非常に重要だったと感謝の言葉を述べています。
そんな脇園の気がかりは、母親が脳出血に倒れたそうで、かつては母自身も役者として芸の道を志していたものの、
脇園さんが生まれたことで家庭に入り、夢を諦めた。
自身が夢を追えなかった分、幼少期からやりたいことを全てやらせてくれた母に、感謝の念は絶えないそうです。
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