三角和雄(みすみ ・かずお)心臓内科医で心臓カテーテルの世界的権威の先生です。
勤務は千葉西総合病院院長で、アメリカの医師格付け機関による「ベスト・ドクター・イン・ジャパン」に4年連続で選出されるなど、世界的な評価を得ている名医です。
これまでに約2500人の治療を行っており、遠方から三角院長を頼って来院する患者も多数おられます。
心筋梗塞や狭心症、心臓弁膜症などは、私たちがいつかかってもおかしくない病気だ。
手首から直径わずか1ミリ~3ミリほどの細い管を入れて治療する「心臓カテーテル治療」がある、
患者への負担が少なく、軽度であれば入院も1泊だけ、いまや心臓の病気は切らずに治せるようになった。
千葉西総合病院の三角和雄先生は、年間約3400件の案件を担当しており、病院内には6つの手術室があります。
三角先生は、これらの手術室を統括し、患者の治療において特に難しい症例に際しては、自ら手術室に赴いて治療を行っています。
この病院は年中無休で24時間体制で患者を受け入れており、三角先生は「量をこなさなければ質も追求できない」という信念を持って日々の仕事に取り組んでいます。
2024年4月から始まった医師の働き方改革において、三角先生は病院長として新しい取り組みをリードする役割も担っています。
今後の課題として、限られた勤務時間内で質の高い医療を提供するために、技術力のある医師の育成やチーム体制の強化が求められています。
特に若手医師のスキル向上が重要視されており、三角先生は女性研修医の学会での発表を支援したり、
難易度の高いカテーテル治療の指導を直接行ったりしています。
これらの取り組みは、未来の医療を担う人材を育成するための新しい試みです。
三角和雄(みすみ ・かずお)先生の経歴
職業:千葉西総合病院院長、東京医科歯科大学特命教授を兼務 循環器一般/心血管カテーテル治療
誕生日:1957年11月20日生まれ
出身地:大阪市
出身高校:大阪教育大学附属高等学校平野校舎
出身大学:東京医科歯科大学医学部医学科
家族:奥さんと3人の娘さん
趣味:
将棋(日本将棋連盟六段)
スキューバダイビング(PADI)
筋肉トレーニング(体脂肪率16%)
映画鑑賞(ラブストーリー、コメディはNG)
読書
HP:https://www.chibanishi-hp.or.jp/
職歴
1982年に東京医科歯科大学卒業。
長尾優学術奨励賞(金時計)受賞。
1982年4月 に東京医科歯科大学医学部第三内科勤務。
1985年に渡米しニューヨーク、ロサンゼルスなどで武者修行。
1996年にハワイ大学医学部内科(循環器部門)臨床系助教授・開業。
1998年に千葉西総合病院 心臓センター長。
2004年 に医療法人社団木下会千葉葉西総合病院院長に就任(心臓センター長兼任)。
学位・資格・免許・所属学会
日本循環器学会 専門医
日本内科学会 総合内科専門医・指導医
日本心臓血管内視鏡学会 認定医
米国内科学会 専門医・正会員(F.A.C.P.)
米国心臓病学会 専門医・正会員(F.A.C.C)
米国胸部疾患学会 正会員(F.C.C.P.)
日本老年医学会 老年病専門医・指導医
日本心血管インターベンション治療学会 心血管カテーテル
治療専門医・施設代表医
元ハワイ大学臨床助教授
日本医師会 認定産業医
船橋警察署 産業医
ロータブレーター米国指導医資格
頸動脈ステント指導医資格
2010年 紺綬褒章
米国カリフォルニア州医師免許、ハワイ州医師免許
千葉西総合病院
いつの間にロゴ?追加されたのか、全く気づかなかった。 pic.twitter.com/9WOSX7VY7v— 136・k (@136ku1) November 10, 2024
三角和雄先生の実家は大阪市で祖父の経営するプラスチック加工会社に勤める技術職の父親と専業主婦の母親の次男として生まれ、
四つ上の兄がおられます、名前は父親の利雄氏、母親の和子さんから一文字ずつを取った「和雄」になったのです。
三角和雄先生の夢は佐藤栄作さんに憧れて、総理大臣になると思っていたが、
小学2年のとき溶血性連鎖球菌という細菌感染が原因で起こるリウマチ熱で、約1カ月半入院。
その後、父方の祖父ががんで亡くなったこともあって、小学6年のときには医者になろうと思っのです。
また、高校3年の終業式から右眼に、墨を水に溶かしたような黒いものがあり、眼底出血と診断され、
片目で試験をうけたが大阪大医学部の受験は、失敗に終わった。
当時は二期校制だったため、一期校で出願した大阪大のほか、東京医科歯科大と信州大にも出願していた。
試験日が異なる東京医科歯科大を受けることにした。
ほとんど見えなかった右目の視力が回復し、東京医科歯科大に合格し、東京での生活が始まる。
上京してからはカルチャーショックの連続だったそうです、納豆やたぬきうどんの汁、駅のホームで電車を待つ乗客が整列しているのも物珍しかった。
大学は医学部でも成績は良い方で、卒業時には成績上位者に授与される長尾優学術奨励賞(金時計)を受賞。
その後の医学部6年時に米国フィラデルフィア小児病院循環器科で受けた夏期研修で目指す方向が変わった。
ラシュキンド教授が行うカテーテル治療を目の当たりにした三角氏は、患者にとって負担の少ない治療に強い関心を抱いた。
1985年に渡米。学位論文を仕上げた後も帰国せず、米国で臨床研修を開始した。
現在は心臓カテーテルの難関究めるロータブレーターで世界トップクラスで現在に至るのです。