桐本 泰一(きりもと・たいいち)輪島キリモト・7代目代表取締役社長です。
輪島キリモトの創業は、初代桐本久之丞(きゅうのじょう)氏が輪島市で漆器製造販売業を始めた1700年代後半に遡ります。
3代目の桐本久太郎氏が、明治20年から大正初期ぐらいまで輪島漆器業界の小規模漆器店、
各分野の職人をまとめる漆工労働組合で組合長を長く務め、職人の待遇改善に貢献しながら家業も熱心に広めていったとされています。
そんな桐本 泰一 輪島塗キリモト7代目社長の経歴や年齢に高校と大学は?家族やキリモトの歴史は?など調べてみました。
桐本 泰一(きりもと・たいいち)社長の経歴
役職:輪島キリモト・7代目代表取締役社長
誕生:1962年生まれ
出身地:石川県輪島市
出身高校:輪島高等学校
出身大学:筑波大学芸術専門学群生産デザインコース
家族:妻・長男 桐本瑛生 妹 北直子 妹 桐本絵理子
Twitter:@taiichikirimoto
Facebook:https://www.facebook.com/wajimakirimoto/
インスタグラム:@taiichi_kirimoto
職歴
1985年にコクヨ(株)意匠設計部入社。
1987年に輪島朴木地工芸 桐本木工所入社
受賞歴
2001年に「石川県デザイン賞」受賞(石川県デザインセンター)。
2003年 に「石川TOYP大賞」受賞((社)日本青年会議所北陸信越地区石川ブロック協議会。
)
2005年 に「いつものうるし」(監修/ラトルズ刊)出版。
2015年に桐本木工所・桐本俊兵衛の業務を引き継ぎ、商号を輪島キリモトとして代表に就任。
2017年にパリ・ルーブル宮殿・パリ装飾美術館メインホールにて開催された花見と弁当の催事「JAPAN PRESENTATION in Paris」で使用された器「あすなろの重ね箱」を創作。
2018年に第二回三井ゴールデン匠賞グランプリ受賞(三井広報委員会)。
昨年より予定されていました企画展が開催しております。
ー輪島キリモトー
「木とうるしのちから」
1/31(水)〜2/6(火)
10:00〜19:00
日本橋三越 本館5階
クリエーターズテーブル pic.twitter.com/NGlyR1rbxC— 桐本泰一 (@taiichikirimoto) February 3, 2024
阪急百貨店催事
今日は五日目
輪島キリモトが得意な片口
豊富に揃っています‼️
日本酒との相性がいいんですよね pic.twitter.com/HM8O3VFk7P— 桐本泰一 (@taiichikirimoto) January 17, 2021
キリモトの歴史は?
石川県輪島にて200年以上「木と漆」の仕事に携わってきた桐本家。
江戸時代後期から明治・大正にかけては輪島漆器製造販売を営み、昭和の初めに木を刳ることを得意とする「朴木地屋・桐本木工所」に転業されました。
初代から4代目までは「塗師屋(ぬしや)」でした。
輪島塗は、木地づくり、塗り、研ぎ、 金を使って絵付けをする沈金(ちんきん)や蒔絵(まきえ)など、
それぞれに専門の職人がいる完全分業制で、 それをまとめるプロデューサーのような役目をするのが「塗師屋」。
5代目にあたる泰一氏の祖父の代に、「木地屋(きじや)」に転業。
木地屋といっても、さらに専門は4つに分かれます。
1・ろくろを使ってお椀やお皿などの丸みのある木地をつくる「椀木地(わんきじ)」。
2・ 丸盆やおひつなど側面の板を曲げてつくる「曲物(まげもの)木地」。
3・ 重箱や膳など板を組み合わせて角のあるものをつくる「指物(さしもの)木地」。
4・指物木地から分離した、猫足や仏具、匙など木をくり出してつくる「朴(ほお)木地」。
となります。
5代目は、朴木地を専門とする木地屋に転向。
6代目の泰一社長の父親の代に、 特殊漆器木地をはじめ家具なども制作できる設備を揃え、家具や建具といった大物から、器や小物まで幅広く手掛けるようになる。
7代目の桐本 泰一社長の代からは、漆職人も加わり、木地づくりはもちろん、 漆塗りの工程までも同じ工房内で行うという、これまでの輪島塗の世界にはなかったことをはじめた。
また、7代目の桐本 泰一社長は商品を企画し、デザイン、設計、木地づくり、塗り、さらには販売までを一貫して行っています。
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