小林まさみさんは料理研究家、フードコーディネーターをされております。
小林まさみ料理研究家のアシスタントが義理の父親小林まさるのコンビで人気がありマスコミにも登場されている。
結婚し料理に目覚め本格的に料理を仕事にしたくなり、
調理師学校に通うことを決めたのです。
その後に料理研究家の嫁小林まさみさんのアシスタントを務める、義理の父親の小林まさるさんは元々料理が上手だったそうです。
何と義理の父小林まさるさんも2014年より『キユーピー3分クッキング』のレギュラー講師も務めておりますからビックリします。
小林まさみさんは、家庭料理をベースにした誰でも簡単に作れるレシピが得意なので、主婦にも人気があり、
食材の栄養や効能にも詳しく、健康的なレシピも多く紹介している。
そんな小林まさみ料理研究家の経歴や年齢に夫や子供と義理の父小林まさるがアシスタント!平野レミとの関係は?など調べてみました。
小林まさみさんの経歴
職業:料理研究家、フードコーディネーター
誕生:1970年生まれ
出身地:東京都台東区浅草
最終学歴:大学卒業後(非公開)
専門学校:調理師学校
夫:小林史典氏
小林まさみ公式YouTubeチャンネル
小林まさみさんは学生時代は料理よりも裁縫の方がすきだったそうで、大学卒業後も就職してからは、
弁当は作っていたが台所の手伝いはしていなかった。
しかし、職場で知り合った男性と結婚がきまり、母親から料理を習い始め、ここで料理の楽しさに目覚めたのでした。
結婚後も会社員として働く傍ら、「料理研究家」を目指して「調理師学校」に通う。
卒業後は会社を退職し、料理研究家のアシスタントやテレビのフードコーディネーターのアシスタントを務め、2000年に独立されました。
その頃から仕事が忙しくなり、義理の父親の小林まさる
さんが定年退職しており、家事の手伝いを申し出る。
その後に仕事が忙しくなり裏方のアシスタントも、義理の父親の小林まさるさんに手伝ってもらうようになり、
現在のペアとなったのです。
現在は、雑誌や書籍、テレビ、企業のレシピ開発、イベントなどで活動。また、料理教室やレシピサイトも運営している。
小林まさみさんの著書は!
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小林まさみさんの夫や子供は?
夫は一般の会社員をされていた小林史典さんと1995年に職場で知り合い結婚して小林家の一員になった、
小林まさみさんが25歳で義理の父親の小林まさるさんが62歳の時だったそうです。
その後に定年退職と同時に料理の仕事に入ったのですが、お子さんの情報は全くありませんでした。
夫の年齢や職業なども非公開となっております。
【第 2 の人生の始め方】
今日ご紹介するコラムは、75歳で料理研究家デビューされた小林まさるさん流第2の人生の始め方です。義娘まさみさんのアシスタントから始まったという小林さんの第2の人生とは?
#キヅクログ #小林まさる pic.twitter.com/fLoloHnjvHhttps://kizukulog.com/?param=20230803&kj=2— キヅクログ (@kizukulog) August 3, 2023
小林 まさるさんの経歴
職業:料理研究家
誕生日:1933年4月22日生まれ
出身地:樺太(からふと)→北海道美唄
最終学歴:高等学校
兄弟:7人兄弟の長男
小林まさるの88(はちはち)チャンネル
鉱山の技術者を父に持ち、7人兄弟の長男であった、第二次世界大戦終戦後は北海道美唄で暮らす。
高校を卒業後は、父と同じく炭鉱で働くも20歳から毎日焼酎の大酒呑みで40代半ばで肝臓を壊してしまう。
医者の指示で10年で回復した。
結婚は30代でしたが奥さんは病弱で入退院の繰り返しで、お子さんが2人おり、小林まさるさんが食事と弁当を調理するようになった。
その後奥さんに先立たれ、また酒豪生活に戻り60代後半まで1日7合を飲み続けたそうで、
長男夫婦の強い勧めから同居生活を始めます。
定年後は身をもてあましていた小林まさるさんが、料理研究家として多忙であったお嫁さんのまさみさんのアシスタントを始めたことか料理の道へ入った、
78歳の料理研究家となったのです。
小林まさるさんの著書!
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小林まさみさんと平野レミさんの関係は?
小林まさみさん元平野レミさんのアシスタントも務めていたのです。
小林まさみさんは
「平野レミさんとの出会いは大きな転機でした。 徹底的に試作をして、よりよいレシピにする、どんな現場でもだれにでも平等に接する、
そして、忙しくても家族のための食事もとても大切にするところなど、多くを学びました」とはなしておりました。
1997年には平野レミさんのアシスタントとなり、
テレビの仕事の裏方として、餃子100個分の仕込みなどを家でやって、
早朝から夜中まで働いていたのです。
ここから義理の父親で小林まさるさんが家事を手伝が始まったのです。
また、初の著作となる『よーい丼』を執筆する際に、1日50品を撮影スタジオで作ることになったのだが、調理アシスタントを雇う予算が無かった。
この時も小林まさるさんが手伝いを申し出て、洗い物だけやってもらうつもりで撮影スタジオに同行してもらったら、
小林まさるさんが1日ぶっ続けで夜中まで洗い物をしていたそなおです。
しかし、2日めの撮影も疲れるどころか初日よりも元気がありすぎ、動きもよく道具の位置も覚えており、手際もすごく良かったそうで、
撮影スタジオの鍋を磨き、包丁まで研ぎだしもされたそうです。
師匠である平野レミさんに告げたところ、これは良い話と本の奥付、に「「特別な感謝」として小林まさるさんの名を記すことを版元に交渉してくれたのでした。
このことから、小林まさるさんをアシスタントとして撮影現場などに連れて行くようになったのです、
「アシスタント義父」というシチュエーションは珍しがられ、小林まさるさんのほうにも料理の仕事が来るようになったのでした。
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