三國清三(みくに ・きよみ)シェフが70歳から再起を図る理由は、長年温めてきた夢の実現と新たな挑戦への情熱にあります。
三國シェフは、2022年12月28日に37年間営業してきた「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店し、
この決断は引退ではなく、料理人としての新たな幕開けを意味していました。
閉店の主な理由は!
・70歳という節目の年齢を意識したこと。
・料理人として心の底で温めていた夢を実現するため。
・小さな店で自分一人でお客さんと向き合い、料理を作るという夢を叶えるため。
三國シェフは「僕は僕のために料理する」という思いを持ち、2024年8月10日に70歳を迎えるにあたり、新たなキャリアのスタートを見据えていました。
そのため、準備期間を設けるために閉店のタイミングを決断、再起に向けて、三國シェフは以下の準備を進めています。
長年の立ち仕事で痛めたヒザの手術。
フランス語を基礎から学び直すため日仏学院に通学。
筋トレと食事管理を通じて体重を70キロ台まで絞る。
新たな挑戦として、三國シェフはカウンター8席だけの新しい店「三國」を開く予定です。
この店では、自ら食材を吟味し、仕入れから調理まですべてを担当し、お客様と直接対話しながら料理を決める新しいスタイルの店を目指しています。
さらに、YouTubeチャンネルを通じて家庭料理の普及にも努めており、現在約40万人の登録者数を50万人に増やすことを目標としています。
三國シェフの70歳からの再起は、長年の経験を活かしつつ、新たな挑戦に向けた情熱と決意の表れといえるでしょう。
「80歳まで現役で頑張りたい」という目標を掲げ、料理人としての集大成を目指す三國シェフの姿勢は、年齢に関係なく挑戦し続ける姿勢の象徴となっています
三國清三(みくに ・きよみ)シェフの経歴
職業:東京四ツ谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」等のオーナーシェフ・ソシエテミクニ代表取締役
誕生日:1954年8月10日生まれ
出身地:北海道留萌支庁管内増毛町
専門学校:夜間の調理師学校
YouTube :
三國清三シェフは父親・正(手漕ぎの漁師)、母親・亮子(農家)の間に7人兄弟の三男(兄2人、姉2人、弟2人、妹)として生まれる。
1969年に中学校卒業後は札幌・南16条の米店に住み込みで働きながら、夜間の調理師学校に通う。
16歳の時、まかないで食べたハンバーグに感動し、「ハンバーグを作る料理人になろう」と決意。
札幌グランドホテルで料理人の修行を開始。
半年に中卒ながら正社員になる。
1971年に帝国ホテルへ就職。
1973年に20歳で帝国ホテル・村上信夫料理長の推薦により、スイス・ジュネーヴの日本大使館(軍縮会議日本政府代表部)の料理長に就任。
大使館勤務のかたわら、フランス料理界で有名な「ジラルデ」のフレディ・ジラルデやトロワグロ兄弟、アラン・シャペルに師事。
1978年に大使館を退勤し、フレディ・ジラルデの元で修業。
1980年に三ツ星レストランの「トロワグロ」、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス」、「アラン・シャペル」にて修業。
1982年に帰国。
市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」でシェフ就職。
1985年に東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業し、オーナーシェフ。
2013年11月7日にフランスのトゥール大学より「美食学」の名誉博士号を贈られる。
2022年12月28日に37年間営業した「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店。
2024年秋頃には、同じ場所に、わずか8席の新しいレストランを開店する予定。
その他の丸の内や札幌、横浜、名古屋、京都のミクニレストランは継続される。
HP:https://oui-mikuni.co.jp/shoplist/
三國清三シェフの著書!
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