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今井月(るな)競泳選手の経歴や年齢に高校と大学は?スランプの原因やハーフで家族は?

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今井 月(いまい・るな)選手の経歴 スポーツ
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今井 月(いまい・るな)競泳選手は12歳で日本3位になった元スーパー中学生、

将来を期待された22歳は長いスランプを経て、6年ぶりに日本代表復帰を果たした。

2023年4月からは、社会人になりスランプから復活、念願の平泳ぎで世界水泳への切符を勝ち取った。

「やっと1番好きな200m平泳ぎで日本代表になることができて、世界で戦える切符を掴めたことはすごく嬉しいですし、自信を持って世界水泳に行けると思います」(今井月 選手)

そんな今井 月 競泳選手の経歴や年齢に高校と大学は?スランプの原因やハーフで家族は?など調べてみました。

今井 月(いまい・るな)選手の経歴

今井 月(いまい・るな)選手の経歴

競技:平泳ぎ競泳選手

誕生日:2000年8月15日生まれ

出身地:岐阜県岐阜市

出身中学校:岐阜市立岐阜西中学校

出身高校: 愛知県私立豊川高等学校

出身大学:東洋大学

身長:164cm

体重:51kg

所属:バローホールディングス・東京ドームスポーツ

成績

中学1年の時に日本選手権3位とメダルを獲得。

2016年のリオ五輪200m個人メドレーで出場し15位。

2017年、世界水泳にも初出場200m個人メドレーで世界の5位。

2018年日本代表から落選。

その後も、成績不振が続き目標だった東京五輪には、まったく手が届かず。

2022年8月に大学最後のインカレ水泳・
200m平泳ぎ自己ベストを更新(2分23秒02)優勝。

 

今井 月選手の復活のきっかけは練習環境の変化?

今井 月選手は物心ついた頃には日本のトップの方にいたので、中学生のときは仕事感覚で思っていた。

試合、成績、結果、がのしかかり、極度のストレスを感じていた、

結果が出なかったら何言われるかわかんない。

結果に追われ、スランプでもがいた大学時代で、心の底から楽しめる休日はなかったという。

復活のきっかけとなったのは、練習環境の変化だった。

2021年11月から、元日本代表コーチの飯塚正雄氏に師事している。

飯塚コーチ:

「本人が思ったことを我慢しないで言える。うちに来て何かが変わったんだとすれば、

チームメイト含めたメンタルの部分の環境が、彼女にとっては合ってたんじゃないのかな」

以前は、苦しくても無理をして明るく振舞っていたという今井選手。

ありのままでいられる環境が、いい結果に繋がっているようだ。

気持ちの他にも、もう1つ変わったことがあった。

環境を変えたタイミングで専念したのが、原点の平泳ぎだった。

環境の変化がもたらした、復活のきっかけ。

スランプを乗り越えてつかんだ、6年ぶりの日本代表、原点の平泳ぎで世界に挑む。

 

今井 月選手の家族は母親がフィリピンのハーフ?

父:今井博美氏

母:故 今井リサさん(フィリピン)

兄:流星(ひかる)選手2歳上

今井月(るな)選手

母・リサさんはフィリピン人だったため、今井月さんはフィリピンのハーフということになります。

母親のリサさん(フィリピン)は2008年に心室細動により急死されており、今井 月選手が8歳の小学2年生だったそうです。

今井月選手の活躍する姿を見せられなかったのが残念で、悲しい思い出になっております。

ちなみに今井月(るな)名前はラテン語で「月の女神」と意味する言葉だそうです。

父親の今井博美氏

母親が亡くなるまでは飲食店の仕事をされていたが、亡くなってからは時間に融通が利く仕事に変え、

スイミングスクールの送迎や栄養管理、試合のビデオ撮影をこなすなど、全国どこへでも駆けつけ今井月選手のフルサポートをしていたそう。

東京の試合では岐阜から5時間以上の運転をし、応援し車中で寝泊まりすることもあったそうです。

今井月選手の兄 今井流星(ひかる)選手

早大水泳部第115代主将を務めた今井流星主将

岐阜西中学3年生:男子200m平泳ぎで全国優勝。

豊川高校の水泳部の主将/インターハイ優勝。

早稲田大学の水泳部の主将。

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